ずっと忘れない

 二日前の早朝、近所の畑地を歩いていると、双葉がたくさん出ている区画を見つけた。なにかの種を掌からぱらぱらと蒔いたのだろうか。なんの野菜になるのか私にはわからない。

 このまえ、どこかの街を歩いていて・・・庭のザクロの木に実がたくさん生っている、その実を、二階の窓から年配のおじさんが枝切ばさみを伸ばして、横にいるおくさまと相談しながら、落としていた。落ちる実を網で掬っていただろうか?そこまでは覚えていない。

 1979年の秋、私が社会人になった最初の秋だから西暦何年のことか覚えているのだが、休日にキヤノンF1(というフイルムの一眼レフカメラ)にモノクロフイルムを入れて、横浜の横浜らしい場所、港が見下ろせる公園から教会や学校の並ぶ尾根沿いの道を歩いては写真を撮っていた。たぶんどこかの病院だったと思うけれど、もしかすると教会の一つだったかな、庭にやっぱりザクロの木があり、脚立を立てて上った白衣の人・・・病院の先生か看護婦さんだったと思うから、やはり教会ではなく病院だったんじゃないかな、脚立に上り実をもいでいた。枝切ばさみを使っていたかどうかまではわからない。そこで、これは秋らしい一場面だぞ、と思ったので、何枚か写真を撮った。ところがそのあと、ずっと写真を撮っていき、36枚(フイルム一本の所定撮影可能枚数)を越えても、巻き上げレバーが詰まってフイルムが終わったという感触がやってこない。そのときになりやっとこれはフイルムがちゃんと装填されず、巻き上げレバーは空転していて撮ったつもりの写真はなにも写っていないな、と気が付いた。前の晩、一緒の寮に住んでいた仲の良かった友人が「俺がフイルムを入れてやる」と言ってきたので任せたのだ。別にお前に任せなくてもいいのだが、要するに「入れてみたい」「やってみたい」と言っているわけだから任せたのだった。それで、くそっ!と思ったので、寮に帰ってから一応文句を言ったと思う。「おまえなあ!」「ベストショットを逃したぞ」。

 ベストショットは脚立に上った白衣の看護婦さんがザクロをもいでいる写真だ。絶対に(←絶対という単語は青臭い)いい写真が撮れていたはずなのにどうしてくれる、という思いだった。だけど、よく思うのだが、もしその写真がちゃんと写っていて写真になっていたら、かえって私はそんな写真のことなど忘れてしまったんじゃないのか。ところが写っていなかった写真が、頭の中に、もちろん正確な画像の記憶などではなく、絵に描けと言われたらなにも出てこないかもしれないけれど、頭のなかのイメージ(の印象)としてはいつまでも残っていて、秋晴れの気持ちの良い風が吹いているなかで、白衣の看護婦さんがいつまでも脚立の上でさらに背伸びをしてザクロの実をもいでいる。するとこれはもう写真プリントになった写真なんか滅多に見返さないことと比べると、ずっと記憶に残っている写真プリントには成り得ない写真そのものなのではないかと思うのだ。ずっと忘れない。

 この話も14年も書いていれば、このブログの過去のどこかの日に書いたように思うのだ。