詩仙堂のハンミョウにつながる話

 親子が展示物を熱心に見ている。子供も飽きずに興味津々のようでいろいろと父に聞いているようだ。父も知識があるようでうまく説明している。ほほえましいと思う。被写体のお二人に対してほのぼのとしたものを感じる。

 このブログに過去どこかで書いたかもしれないこと。私が小学生の低学年か、あるいはもっとむかし、幼稚園の年中年長だったか、顕微鏡をもらった。誰かのプレゼントだったのかな。自分が欲したのかもしれない。あるよく晴れた日・・・季節はわからないが、五月の気持ちのよい日とでもしておこうか・・・住んでいた平屋の長屋の南側にあった廊下に顕微鏡を持ってきて、その廊下から庭に降りては、観察したいものをあのガラス板に置いては覗いてみたものだった。あの日、今度はこれを見ようか、次はそれにしようか、と一緒に庭をうろうろしてくれたのは母だった。私が五歳だったとすると三十歳の母だった。それが花の花粉だったのか、落ちていた蝉の羽根の一部だったのか、一滴垂らした池の水だったのか、あるいは土くれだったのか。一体なにを見て、なにに驚いて感動したのかはもはや覚えていないけれど、その日ははじめて見るものばかりでとても楽しくて興奮した、その高揚だけはよく覚えている。あれから六十年くらい経ったが、そしていまは光学式ではなく電子顕微鏡だったりするのかしら、でも同じような驚きとともに楽しい「観察」をしている子供たちが大勢いるといいと思う。

 その廊下の下は雨の入らない乾いた土があって、すなわち今でいうと高速高架下の広場のようだな大きさは違うけれど、そこにはアリジゴクがいた。乳歯が抜けると上の歯であればこの縁の下の乾いた土に投げたし、下の歯は屋根の瓦に投げた。幼児の頃には昆虫に夢中になっていて、とにかくたくさんの名前を覚えたい。小学館(たぶん)の昆虫図鑑には虫の絵が描かれていて(たぶん今の図鑑は写真なんだろう、むかしはどの図鑑も絵だった)すべての虫の名前はカタカナで書いてあった。シロスジカミキリとかハンミョウとかオオスカシバとかだ。私はまだカタカナが読めなかった。ひらがなはもう読めた。そんなわけで、母が昆虫図鑑のカタカナにひらがなをふってくれた。そのおかげで沢山の名前を覚えることが出来た。この話はこのブログの2021.04.25.の日付の記事にも書いてあった。

 その頃からハンミョウはいちどは見てみたい虫だったけれど、なかなか見つける機会がなかった。はじめてハンミョウを見たのは図鑑にひらがなを振ってくれた5歳の頃から50年くらい経っていて、見たのは京都の詩仙堂の庭だった。もう虫に興味なんかないけれど、そのときは「あ、ハンミョウだ」と思ったものだ。