複雑を理解できること

 丸の内線の赤い電車が出発する。新中野駅。小学生の頃に持っていた少年少女向けの図鑑に「交通」の巻があった(と思う)。ターミナル駅の断面斜視図が描かれたページがあり、そこに赤い車体に白い線、白い線のなかに更にらせん状の細い線が入っている丸の内線の車両が描かれていた。昆虫図鑑やスポーツ図鑑と比べると、はるかに捲る機会が少なく、あまり興味が向かなかった「交通」だったが、その赤い地下鉄車両が描かれたページだけはよく見たものだ。

 昨日、テレビを見ていたら渋谷駅の再開発計画を特集していた。何本もの鉄道が時代とともに増えながら乗り入れ、そこに渋谷川がカーヴしながら流れているので、川を避けるための回り道と鉄道のために増築された構造で渋谷駅はとても複雑化しているそうだ。それを明日までかな、山手線を止めて行われている渋谷駅の工事もその一環らしいが、今まさに大規模な整備計画が進行中ということらしい。だけど、私の場合二十代三十代の頃によく行っていた渋谷は仮に複雑だったのかもしれないがちゃんと構造を把握していたのに、最新の整備計画の途中段階である今の渋谷駅周りは、もう全然わからなくて却って複雑化している気になる。

 すなわちこれは、十代二十代三十代にわがもの顔で歩いた町の構造はむしろ複雑であっても、それでもすいすいと歩けるほど町に親しめているということが粋・・・というか同時代に町とともに生きている証拠であり、そのあと理屈でわかりやすくしたと言われても、もう町と同時代ではない年齢になっていたら、どんなにわかりやすくなっても、それはわかりにくくなるってことだと思う。

 若い人の特権で渋谷という町が特徴付けられているのなら、むしろもっと複雑化してしまった方が物語が生まれて、それが若い人と同時代のいい町なんじゃないかい。

上の最新の図鑑にターミナル駅の断面図は・・・なさそうだなあ。