夜長を過ごす道具

 11月30日は「オートフォーカスカメラの日」だそう。1977年のこの日に小西六写真工業(のちのコニカ)からコニカC35AF(相性ジャスピンコニカ)が発売された。私は、その年の12月に、通っていた大学のある名古屋市の下宿から神奈川県の実家に帰る新幹線の車中で、カメラ雑誌、たぶんその頃いちばん頻繁に買っていたのはカメラ毎日(通称かめまい)だったから、その雑誌の記事だったんじゃないかな、このカメラのオートフォーカス機構の技術解説が載っていて、ずいぶん真剣に記事を読んだ。新幹線でジャスピンコニカのAFの技術記事を読んだ、ということを覚えているわけだが、なんでそんな一場面だけが夜空にひとつだけある暗い星のようにそこだけ、その断片だけを覚えているのだろうか。

 今日も在宅勤務。一歩も外に出なかった昨日と違って、近所のコンビニとテイクアウトのパスタ屋さんを往復した。部屋のカーテンを閉め、電子レンジで温めたフレッシュトマトと海老とホタテのペペロンチーノスパゲッティを食べながら、またもや(もう日課状態)古い「或る日」を探しにHDDの写真を眺めに行く。これは数年前の11月、群馬県館林市の駅近くの裏通り。男が一人歩いて行く。もうすぐ夜になりそうだ。両方の手にひとつづつ何かを入れた袋を持っている。晩秋の夜長に右手に持った弁当を電子レンジで温めて早々に食べてしまおう、それから左手に持った袋に入っているのは・・・なにか男はその左手に持った道具を使って、何かを作ったり直したりするんじゃないか。そうであるといいと写真を見ながら思った。

 最近、何かを作り出すための道具を買ったことがない。服や本や食べるもの、在宅勤務のために買ったパソコン用の小さなテーブルや椅子、通販で買ったマウントアダプターや中古のレンズ。まぁマウントアダプターやレンズは写真を「作り出す」ためのものでもあるけれど、届いた自室で長い夜に使うようなものじゃない。

 ずいぶん前、ジャンクカメラの籠のなかで1000円や1500円で買ってきたむかしのフイルムカメラ、それこそオートフォーカス機能が入る前の古いカメラを修理した。ほんの二台か三台でやめたけれど。それも自信があって、ここをこうしたから直った、というような修理を施せたわけではない。わけのわからないまま、外観のカバー部品を外していき、わけのわからないまま、どこかをつついたりねじったり、まぁせいぜい油を挿してファインダー光学系を清掃しているうちに、あれ動き出したな・・・という感じだった。それでもオリンパス35DCやECが直ったのでフイルムを入れて何本か写真を撮ることが出来た。そんなとき、会社帰りに半田と半田ごてを買って帰った。写真を見たせいかもしれないが、晩秋のある日だったと思いたい。いじっているうちに電線が半田箇所から外れてしまったので、それを直そうとしたのだが、どうも半田ごてのさきっぽがユラユラ揺れてうまく半田が所望の箇所に付いてくれない。それでそこが高温になっていることを忘れてしまい、親指と人差し指で半田の先を揺れないようにと挟んで抑えてしまったことがあった。もちろん熱くて瞬間的に指を離したのだけれど、あのときの火傷がどの程度だったのか、もう覚えてない。

 なにかそういうことやってみたいな。作ること直すこと、計画を作って、ひとりですこしづつ進めるようなこと。パソコンの前に座ってブログを更新しているのも楽しいけれど・・・プラモを作ろうとは思わないけれど、プラモを秋の夜長にすこしづつ制作を進めているようなことは、いいなと思う。

#2016年11月#館林