感受性豊かに

 一昨日のブログに大森駅付近を通過中に電車の車窓から撮った公園の写真を載せましたが、その後、私の乗った電車は蒲田駅も通過し、多摩川を渡ります。冬の日が落ちるのは早くて、すぐに暗くなっていく。ほんの五分前に大森駅を通過したときよりも、もう少し暗くなった。ちょうど京浜急行の鉄橋を上り電車が走っていく。夜になれば一気に気温が下がるだろう。

 帰宅して、中古カメラ店で買った古いフイルムの一眼レフに装着しようと思ってカメラストラップを検索してみたら、百種類以上のストラップをまとめて載せているサイトを見つける。順に見て行って、ちょっといいなと思うものの、さらに見て行けばもっと気に入るのがあるに違いないと思う。販売サイトではなく紹介記事なので、ちょっといいなと思ったものにマークを付ける機能はない。かといってどこかにメモ書きするのもめんどうだな、と思いつつどんどん見て行くと、またちょっといいなが出てくる。ちょっといいなが三つか四つ出てくると、最初と二番目くらいのちょっといいななんか忘れている。いいないいなと見ていくうちに、結局は値段といいなにそれなりの相関があって、すなわち当たり前にいいものは高いのだった。それで自制して、買ったカメラよりストラップの方が高くならないように決めた。さんざん迷っているうちにずいぶん時間を使ってしまった。

 話が飛びますが、いまもあるのかな、夕刊紙というものが駅のキオスクで売っていて、二大夕刊紙は日刊ゲンダイ夕刊フジだった。ときどき書くべきスポーツ記事がないのか、荒唐無稽な記事がでかでかとした見出しのもとに書かれていた気がする。具体的にそういうのがあったかどうか不明だけれど、ノリとして「宇宙人襲来」「透明人間現る」的な記事もあった。今読んでいる藤本和子著「イリノイ遠景近景」にタブロイド版新聞の荒唐無稽な記事を書いている記者を想像したことが書いている。締め切りに追われやけくそ気味になり荒唐無稽な話をさもあったかのように記事に仕立てているんだろう、と。藤本和子のエッセイに例として挙げられている具体的な記事は「襟巻にかみ殺された女の話」などだ。

 これを読んでいて思ったのは荒唐無稽であってあり得ない話であって締め切り間際に捻りだすにせよ、そういう話をとにかく記事にすることが出来るというのが凄いなということだった。以前だったら、また日刊ゲンダイがアホなこと書いてるわー、と思っただけだけれど、その記者の想像力たるや賞賛に値すべきだったのではないか。さぁ、どんなに荒唐無稽であってもくだらなくても、ここに一つそういう話を捻りだしてみなさい、と言われても、子供のようにげらげら笑いながらあり得ないことをでっちあげることが出来ないようだ。それは良くないな、と思う。もっと妄想して不思議な話を想像して・・・感受性を豊かに・・・