昇ったばかりの大きく見えた満月

 土曜日、夕方、満月が東の空に浮かんでいた。東に窓がある会議室に仕事の手を休めた仲間たちが三人四人と集まってしばらく月を眺めた。月はよく見る黄色ではなくオレンジ色で(あるいは赤い月と言ってもよいかもしれない)、それを見た一番若い男が不気味さを感じたのか、なにか災害が起こる予兆ではないか、と言ったが、それに同調する人はいなかった。

 私は持っていたコンパクトデジカメでこの写真を撮ったが、望遠側のフルフレーム換算焦点距離100mmの中望遠の画角だから月は大きく写らない。上の写真はフォトショップでトリミングして200mmくらいの画角にしている。

 あとから会議室に来たここの会議室に集まったメンバーの中では二番目に若いことになる男性社員が、自分の席から区切られた窓のなかに見えた月はもっとずっと大きいのに、この会議室の広い窓から見たら小さくなったと言う。この錯覚になにか名前があったはずだと二番目の若い男は言うが、錯覚の名前を思い出せないようだった。それからまた三十分経って、もう会議室には人がいない。飲み終えたコーヒーの紙コップを捨てるために、それ専用のゴミ箱のある給湯室に行く途中に、もういちど誰もいない会議室に立ち寄り月を見上げた。もういつもの黄色に戻っていて、大きくなかった。

 あとから月が大きく見える理由を調べたが、それは錯覚であり、月は上ったばかりでも、真上にあっても同じ大きさだと書いてある。それはそうだ。同じおおきさなのに大きく見えたり小さく思えたりする錯覚の理屈が知りたいと思ったが、当然解明されているんだろうと思っていたその理由が実は「はっきりとはわかっていない」といくつか調べたサイトにはそう書いてある。

 人の目はレンズに置き換えると35mmなのか40mmなのか50mmなのか、いずれにせよそれくらいの焦点距離で写る写真の範囲くらいが見えているから、こういう焦点距離のレンズを標準レンズと称している。ここからは勝手な想像だけれど、人の目のレンズはズームレンズではないから、見える範囲はこういう焦点距離相当の画角なんだろう。だけど、カメラに置き換えるとトリミングとか電子ズームのように、どこかに注視したときに人の頭の画像処理として、あたかも注視している部分が拡大されたような印象が生まれるんじゃないかな・・・とか。あるいは、この写真でいえば月の下に広がる町並みや、あるいは二番目に若い男が大きく月を見ていた自席からの窓枠、そういうのがあると、注視する枠が設定されてその枠に切り取られた角度まで画角が見かけ上狭くなって、その中にある月が大きく見える・・・とか???

 先々月だったかもうひと月前かな、皆既月食の日があった。あのときも仕事の手を休めた何人かが会議室に集まって、電灯を消した暗い会議室から皆既月食を眺めた。天体ショーを眺めると、それが会社であって会議室であっても、なんだか集まった連中のあいだに仕事のときとは違う、犯罪じゃないから共犯ではないけど、滅多にない特別な時刻を共有したということから発するような「仲間」気分が生まれる(気がする)。

 サッカーの試合で例えばホーム側指定席に行くと、誰も知り合いがいないのに、みなホームチームサポーターという共通理解があって、最初から仲間意識が共有されている。その共有される仲間意識が天体ショーを同じ場所で観たことでも生まれるような感じがする。

 今日は私の誕生日。