シャッターチャンスを故意にずらすこと

 昨日に続き、フイルムで撮った写真です。ライツミノルタCL+キヤノン28mmF2.8(スクリューマウント)。2022年12月29日の鎌倉駅ホームに沿った道を逆光でのぞむ。写真を撮ろうと思ったときには、画面中央で右を向いて歩き始めている方が、逆光の道の真ん中にいて、右方向に歩き出そうかどうかを迷って立ち止まっていて、そのシルエットがすっとしていてかっこよかった。だけど、カメラを構えてシャッターを押すまでにこの方が歩き始めたためにこの写真になりました。右側の路地の先には、たしか、レストランやアウトドアショップやカフェがある。こうして出来上がった写真になってみれば悪くない気もするが、上記の通り、そのときに撮りたかった瞬間から人が少し動いてしまった。こういうのが「シャッターチャンスを逃がす」ってことなのか。シャッターチャンスが時々刻々動いていて、すぐにそのチャンスの瞬間がチャンスでなくなっているのが、人のいる街の光景の刻刻の変化なのだとすると、そのチャンスの瞬間をかすめ取るのがスナップの達人であり、写真の神様が降りている、なんていう言い方もある。さらに達人の達人になると、そういうチャンスの瞬間で撮ることが出来るのに、そこでは撮らずに、そこからまた一拍置いて、シャッターチャンスのピークを故意に一瞬ずらして、そこに洒脱な感じとかおかしみを生んでいる・・・らしい。故意にずらせるのは、シャッターチャンスのピークに撮ることはもはや簡単だけど、あえてそうせずに一拍置く、という制御されたテクニックだから、もっとすごい。私のこの写真のように撮りたいときに撮れなかったという「あたふたした感じ」とは全然違うんだろう。

 だけど所詮写真は、すでにそこにある実景から写真となる範囲を切り取る(ときにはレンズ効果という人の目から外れた風味も加えられるものの・・・)作業だから、あたふたしつつ撮れた写真と、制御してピークの瞬間を故意にずらして撮れた写真とを比較しても、結果として差が生まれないことも起きるという理屈だ。そこがまた面白い。