朝の雲

 6月21日の朝に撮った写真です。この日の朝5:10頃に出勤のために家を出て、空を見上げたら、この写真のような白ではなく、もっと銀色に輝いて光る羽衣のようなたなびいた雲を見たのです。だけど、ちょっと家の近くのコンビニに寄るのと(朝食用の鮭のおにぎりと野菜ジュースを買うためです)、雲を見たときにはカメラを持ってなかった、カメラは書類バッグに仕舞われて自家用車の助手席にいままさに置いてきてしまったので、そのときすぐには写真を撮れず、だけど、コンビニに寄りおにぎりを買い、車に戻りカメラを出して雲を撮る、というそこまでたぶん2分くらいで済ませられるだろうから、そんなに雲の景色も変わらないだろうと思いました。だけど、2分後にはもうさっきのような銀色に輝く雲ではなかった。夕焼けのがきれいなとき、そのきれいのピークもせいぜい1分くらいのもの。朝の雲の輝き方だって、どんどん変化するのですね。なるほど写真は決定的瞬間、瞬間とは瞬間であり続くものではない、そういうことですね。

 だけど、ありふれてしまった雲がダメとかがっかりとか残念ということじゃない、というか、そう思うのがダメなんじゃないかな、とも思った。そこでがっかりしないでこの写真の雲をまた受け入れること。そういう気持ちの度量があった方が幸せになれる。

 下の写真は7月3日の雲です。ゴッホの筆使いのような雲というのも比喩の方向が本末転倒のような気がしますが、そんなことを思いました。