この個体だからこそ

 昨年の11月頃からずっと動かしていなかったフイルムカメラをときどき動かしていて、電池がなくても写真が撮れる機械式カメラは、例えば製造後60年経っていて、最後に写真を撮ってから10年が過ぎていても、みな正常に動くようだった。先日、中古カメラ屋のジャンク品ワゴンから救い出してきたミノルタSRT101もちゃんと写った。だけど電池を入れるからマイコンが生きて、そのマイコンが制御して、カメラが写真を撮るべく動くカメラ、だいたい70年代頃からのカメラは、壊れているものが多い。

 例えば、キヤノンA1、1976年か77年頃に「カメラロボット」としてスターウォーズ風の広告で発売されたカメラ。防湿庫の奥に何十年も置かれていて、誰かから譲られたものだったか?私が所有している経緯すら忘れてしまった。もらったときにすでにジャンクっぽかったか・・・使った記憶がないカメラが出てきた。そのカメラに電池を入れてみたら、最初はアップしたミラーがシャッターが開いて閉じてと動いたあとに元の位置に降りて来なかったが、シャッター速度を変えたりしているうちになんだか動き出した。

 そこで二週間くらい前にフイルムを入れて横浜駅周辺で写真を撮ってみた。ところがこのA1で撮った写真は、画面中央にオレンジの帯状に上下に光線が被ったり、画面の端っこが真っ白に飛んだりしていた。その程度はまちまちだがまともに写ったコマがあまりない、だけど全部がダメでもなかったのだが・・・上の写真はその一例で、画面の左側が真っ白だったからそこをトリミングではずしたのだが、よく見ると画面中央に上下に赤っぽい帯状に光線被りがあって、例えば車道のグレーの色が真ん中は赤っぽいからそれがわかる。このように写真がダメだったので、カメラを詳細にチェックしたら、なんだ、マウント周りのビスが三本も欠品していてミラーボックス内にビスが抜けた穴から光が漏れる。それが光線被りのひとつの理由かもしれないので、早速合うビスを見つけてきて締めた。だけど直ったかどうかは判らない。シャッターの膜速が不安定なのかもしれないし。それともうひとつ、通販でA1用貼り替えモルトプレンキットも買ってみた。不器用なのであんまり綺麗に貼れなかったがとにもかくにも隙間から光が入るのを抑える、あのスポンジのようなモルトプレンを貼り変えてみた。これで明日また一本撮ってみようと思っています。

 さて、上述のカメラ好きじゃないと面白くもなんともない話はさておき、この自分の行動を見ていて、面白いなあ・・・・と自分を客観視して思うのは、そんな風に素性が不明のはんぶん壊れているカメラを直そうとしている自分の思いがどこから来るのか?ということなんですね。だって、キヤノンA1のちゃんと動くカメラが欲しいなら、そんなジャンクを直そうとしてそのために高いフイルムを使って試写して直っているかどうかを確認する・・・・なんてことをするより、ちゃんと動くのを買えばいいのにね、でもそうは思わない。客観的には、買えばいいのにね・・・となる理由は、まぁちゃんと動くこのカメラは4000円くらいで買えるわけで、失敗したり試写するフイルム代や現像代、モルトプレンの代金、等々考えると、そっちの方が確実なのですよ・・・

 でも私の気持ちは「この私の防湿庫にずっとあったA1」を修理して使ってみたいということ。同じA1ならばいいってものではない、このA1が使いたいのであって、別の個体じゃいやだ。A1が使いたいわけじゃない、「このA1」が使いたい。むかし愛用していて「このA1」に相棒のような擬人化した思い出があるわけでもないのに。ただ防湿庫にずっとあったというだけなのに。それだけなのに、すでに擬人化するように機械の個体に思い入れが生じている。もしかすると直るかかもしれないのなら、こいつを直してやりたい、こいつを直して使いたい・・・完全に擬人化している(笑)

 これはカメラという機械についての私の気持ちだけれど、カメラは一例であって、人間にはこういう気持ちが起きる仕掛けが多かれ少なかれある、かもしれないですね。一期一会で会った偶然を、否応なく大事にするような気持ちの仕掛け。

 どうでもよい話でございました。