三か月前はずっと昔

 その日に撮った写真はその日の日付のあとに、どこで撮ったかを簡単に書いたフォルダーに片っ端から保存してある。例えば「2022.11.02.茅ケ崎市内、海岸」とか。これがまさにその「例えば」のフォルダーにあった写真です。南風が強い日で、カメラにも自分の身体にも風に吹かれた砂がぶち当たり、頬に当たる砂は痛いくらいで、だから早々に退散しました。このときには友人のI君もいて、このあと二人で茅ヶ崎駅南口側にある焼き鳥の店に行ったのでした。フォルダーのタイトル、上記のように日付と撮影場所情報が書かれたフォルダーを眺めていると、不思議なのは、例えばこの昨年の11月上旬、およそ三か月前の日々のフォルダーのタイトルを見ていると、

①もう三か月も経ってしまったのか

②まだあれから三か月か

という二種類に思い出す「感覚」が分かれる感じがするということ。どうも日常および日常に近い日々のフォルダー名を見ると、①の「もう三か月も前のことなのか」「もう三か月も経っちゃったのか」という感想が生まれやすい。そして、京都に行ったなどの大きく日常から外れた日のことは②を感じる割合が多い気がしました。

 11月の写真を見ていると、まだまだ皆さん薄着。なんとなくいまのこの1月にいて、11がつはもう晩秋で、それなりに寒い季節に入っているというような自分のなかの理解があるんだけど、写真を見ていると、まだまだぜんぜん暖かかったんだな、と思ったりします。ほんの三か月前のことなのに、人はどんどん忘れていくな。だから日々のストレスやらなにやらがあっても、どうにか生きているんだろうか。