未来のデザインへの憧れ

 街角に停められていた大型スクーター。だいぶ使い込まれていて、フットステップのあたりやリアカバーは汚れている。それがいい感じ。1960年代、テレビでは少年少女向け30分のアニメ番組がたくさんあった。鉄腕アトム鉄人28号エイトマン、スーパージェッターや宇宙少年ソラン。こういう大型スクーターを見ていると、あの頃の漫画に描かれた宇宙船、たとえばスーパージェッターの流星号を思い出す。当時に思い描いた未来の乗り物にいちばん近い形でいま現実にあるのは、こういう大型スクーターかもしれない。流線形という単語はそれだけでカッコよかった。

 その頃、1960年代前半、幼児だった私は、モノクロテレビで大きな鯨が出てくる海外ドラマ?映画?、「白鯨」だったかな?を夢中で見た。後日になり、そのドラマ?映画?の映像の記憶に色が付いている。色が付いていることを最初は不思議に思わず、カラーで見たのだと当たり前に認識していたが、あとから思い出すとモノクロテレビ(しか家にまだなかった)で見たのだから、自分の頭だか心だかの中で、勝手に着色して記憶していたのだと思う。この話も以前このブログに書いたかもしれない。何度も同じネタしか出て来ず、ブログに繰り返し書いているのだとすると、人が覚えていられるエピソード記憶の数なんてたかが知れているのかもしれない。

 80年代前半にセイコージュージアーロがデザインしたスピードマスターという腕時計を発売した。当時は田園都市線某駅近くの会社の寮に住んでいて、休日に渋谷まで行き、当時ヨドバシカメラが渋谷にあっただろうか、それともほかの店だったのかな、オリーブ色のその時計を買った。だいぶ長く使っていた。流線形ではないけれど、デジタルの腕時計が出はじめた頃で円形を使い、オートバイに乗っているときに文字盤が正位置に見えるという理屈で、バンド方向とはちょっと傾いて配置されている。その後、復刻版も発売されたと思う。当時はけっこう未来的でかっこいいと思ったものだ。

 その腕時計を久しぶりに引き出しから出してみたら、数年前までは壊れていなかったのが、とうとう液晶が壊れたらしく、液晶画面の一部が黒々と斑点になっていた。しかも電池が生きていて時刻表示が出ていたのに、ためしにライトスイッチをちょっと押してみたら、それを契機に液晶になにも表示されなくなった。これは単に電池切れかもしれないが。80年頃に液晶表示の時計が出はじめたころは液晶表示部の寿命は不明で、早ければ数年で壊れると説明を受けたが、三十年以上は壊れずにいて、とうとう今日見たら壊れていたというわけだ。中古価格もそれなりの時計なので壊れてしまうと、別に売ろうと思っていたわけでもないのに、なんか残念だ。

 ちょっと近未来的なデザインを受け継いできて、ではいまはどういうものが近未来的デザインとして憧れになるんだろうか?(その後新幹線で具現化した)流線形の超特急、スーパージェッターの流星号・・・当時、いまはまだ具現化していないけど未来にはこういうデザインの高速の乗り物が登場するということが子供まで含めた社会の共通認識の憧れとしてあったし、未来のデザインの雰囲気も共通認識されていた。いまはレトロになった未来的デザインがあるが、憧れの本当の未来にはこうなるだろうデザインなんてないかもしれない。人用の一人~数人乗りのドローンはどんな形になるのか?それは今見ると憧れるほどかっこいいものなのか?