繰り返す春に

 十年はひと昔・・・慣用句だけど、この言葉を思い出すと、井上陽水の「夏まつり」という曲のメロディに乗って来てしまう。十年前の4月下旬。駒込駅近くのギャラリーで友人がグループ写真展に出展していると聞き出かけてみたことがあった。そんな日のことは写真を見直さなければ思い出さなかっただろう。快晴の休日が写っていて、そうだった!快晴だった!と思い出すのだった。写真展のあとに六義園に寄った。六義園にはこのときに初めて入園した。1985年か86年頃、当時会社を引退したばかりの大先輩の尾久のご自宅に仲間と4人くらいで遊びに行った。大先輩は東京の下町産まれ下町育ちで、空襲の大惨事の中を生きのびた方だった。下町育ちの典型的なおじさんで東京というか東京の下町を誇りにしていた。世の中みんな、国内のあちこちに旅行に行くけど、京都も北海道も、行きたいとは思わないね、とビールで酔っぱらった赤い顔で言っていた。だって庭園を見たいんなら六義園がある、あそこはいい!と続けた。昼過ぎから出前で取ってくれた食べきれないくらいたくさんの握り寿司を食べながら夜になるまでずっと話したものだ。そんなことを思い出しながら入った六義園はぜんぶが新緑だった。写真を見ながら、十年はひと昔って感じが確かにした。でも今から十年後に今撮った写真を見て、十年はひと昔って思うだろうか・・・なんとなくだけど、もう十年も経っているのか!と驚くだけような気がするな。ひと昔とは思わずついこの前のことだと思うんじゃないかな……

 当たり前だけど春に撮った写真には春が写っている。十年前の春、九年前の春、八年前の春、七年前の春、六年前の春、五年前の春・・・・春には「ひと昔の春」や「ふた昔の春」はなくて、いつもいつも繰り返してくる春だな。温暖化とか外来植物とか、そういうのはもちろん危惧しなくてはいけないんだろうけれど、でもとりあえず繰り返す春だ。