今のところ淡々と

 2週間ほど前、4月5日に表参道のエスパス ルイ・ヴィトン東京にヴォルフガング・ティルマンスの展示を観に行ったときの会場受付の写真です。

 その後、(この写真ではまだ芽生えたばかりの)新緑はますます伸びて、若葉の「若い」を人に例えると、同じ「若い」であっても、幼少期から小学校も越えて中学生くらいまで一気に進んでいる感じ。

 出張先のタクシーが大きな川を国道の橋で渡るときに見えた河川敷の林のなかや、東海道線の車窓に見える住宅地と高等学校の高速道路に囲まれたちょっとだけ残っている藪のなかに自然の藤が、花の房を垂らしていて、その一瞬で通り過ぎた自然に咲いた藤の花が美しいなと思った。藤棚に整備されている藤の花もきれいだが、自然の林のなかに咲いている藤を見つけたのがちょっとだけ嬉しい。

 4/19-20に一泊の国内出張があり、移動中の電車のなかやホテルの部屋で村上春樹の新作を読み進めている。厚く重い単行本を出張に持っていくか、少し迷ったけれど、読書時間が長く確保できるチャンスだと思い持って行った。それなりに時間が取れて、それなりに読書が進んだ。それでもまだ半分くらい。物語はいまのところは淡々と進んでいる感じだ。

 昨日は出張先の町の暗い住宅街のなかにぽつんと灯りをともしているイタリア料理の店で夕食を食べた。トリュフとパルメザンチーズのリゾットが美味しい。一緒に食べていたメンバー全員が、美味しいなあ!と呟いた。シェフはイタリアで料理を学んで帰国し、その店を始めた方で、礼儀正しく低姿勢だった。いろんな歴史が人それぞれにあるけれど、その人その人の持っているエピソードまでは知る由もない。例えば店の中にはフェラーリのポスターと写真集が、ワインの瓶が並べられている壁際に何気なく置かれていたが、それが店主とどういう関係があるのか?もしかするとなにか店主とフェラーリにまつわるエピソードがあるのかもしれないが、一晩だけの客にはそこまでわからない。

 人がそれぞれ持っているエピソード(思い出)に優劣なんかない。楽しかったエピソードが悲しかったエピソードの上位にあるわけでもない。描いてきた軌跡はそれぞれ唯一で、運不運に左右されていたとしても、それが一人一人ということだ。一人一人は等しい尊厳がある。それは現在この時間に持っている尊厳だ。そんなことを戦争のニュースだらけのテレビを観て思う夕べ。