もうすぐ五月

 山椒が黄色い花を咲かせていた。見つけたときには山椒だよなぁ……と思ったものの、自信がなかったから、葉の先を指に挟んで擦り、その指先の匂いを嗅いでみたのだった。すると山椒の強い香りが鼻を付いたから、ちょっと嬉しくなったのだ。一年前の五月のことだった。場所は箱根町のポーラ美術館で、リヒターの絵をみたあとに大きな樹木のある散策コースを歩いた。雨上がりの森を歩いている人は少なく、新緑の高い梢の隙間には、いま雲が切れて見え始めた青空があり、高い空を飛行機が横切った。

 一年が経つのが早い。もうすぐあの素敵な五月がやって来る。片岡義男の角川文庫「夕陽に赤い帆」に収録されていた「バドワイザーの8オンス缶」という短編小説は、冒頭に「五月の第一週が今日で終わる土曜日の夜」から始まる話だと書いてある。物語の中身は他愛無い。二人の仲の良い女性が一人の男性を誘い渋谷だったかな、どこかで飲んだあとに、ドライブで横浜まで行き、やがて一人の女性が酔いつぶれ、男ともう一人が酔いつぶれた女性を家に送ったあとに・・・ありふれた、ちょっとだけ(当時の感覚で)おしゃれな都会生活を送る男女の出てくる物語だった。お色気もあって。このほんの都会の一場面を掬い出しただけの短編だが、20代前半だった、社会人に成り立てだった私は、実際にはそんなことは周りに発生せず、発生しないから、憧れとしてこういう体験を望んでいたから、この小説の物語だけは、例えば同じ短編集のほかの話はなにひとつ覚えていないのに、いまも忘れずにいるのだ。

 山椒から話が離れてしまったけれど、山椒と言えば、私の場合やはりうな重が浮かぶ。一年前の五月には鎌倉でうな重を食べた。そんなことも写真を辿って思い出した。毎日のように写真を撮り続けていると、それは日記というか日記のサムネイルのようだ。