AI個別指導機能付き勉強机

 パソコンで作業をするから、パソコンは液晶が自分で光ってくれるから、キーボードもほぼほぼブラインドタッチだし、デスクにこういうライトが不必要になっている、という当たり前のことに久しぶりにZライト(の写った写真)を見て、そういうことだよな、と思った。自室では寝転がってベッドで読書をするときにと、デスクではなく枕元の小さな置台のようなところに、イケアで買ってきた、この写真のように「関節」があるのではなく、背骨のように小さな部品が積み重なっていて自由に方向を変えられるライトが置いてあり、それがこの写真のライトと同種のもので自室にある唯一のライトなんだけど、ではデスクではどうしてもなにか明かりが欲しいときにどうするのかというと、充電式の小さなLEDライト(上が丸い半球状の直径が7~8センチのもの)があるのだが、実際に手元に明るさが欲しいときはほとんどなくて、このライトは小さな物を写真撮影するときの影の方向を調整するときに使っているだけだ。むかしは読書をするときには、子供であれば「勉強机」と呼んでいたデスクにちゃんと座り、こういうZライトか、もっと以前は横長の蛍光灯管を持っているデスクライトを付けて読んでいたが、いまでも紙の教科書はあるだろうから、意外と大人用よりも子供用の「勉強机」には、シンプルな机ではなく、あれこれガンダムのように部品を動かせるような「勉強机」には一体的にLEDライトが組み込まれているんだろうな…調べてはないけど……

 私が子供の頃は夜になると、いまと比べると明かりをつけても部屋は暗かったから、机ではない場所、すなわちデスクライトの明かりのない場所で本を読むと「視力が落ちるからダメ!」と叱られたものだ。平均的な日本の家の中の夜の明るさは、例えば五十年、三十年、二十年前と比べて、明るくなっているのだろうか?そもそも諸外国では、夜の住居内をそんなに明るくはしないものだ、日本(もしくはアジア圏だろうか?)だけが明るい、という話を聞いたこともある。

 最新の子供用机のカタログを調べているわけではないけれど、もしかすると目が本に近すぎると注意してくれる机もあるんじゃないか?そのうち机はインターネットにアクセスするようになり、IOTってやつね…、そして組み込まれた液晶パネル上に、最近のホテルのチェックインでは液晶パネル上に磁気式?のペンを滑らせて住所や名前を書くことがあるけれど、ああいう字が書けるパネルん有し、そこに毎週問題が現れて、その電子ドリルに回答すると自動採点と同時に不明点や弱点をAIロボットが分析し相談役になって子供を個別指導してくれるようになり、というか既になっていてもおかしくない・・・。このAIはたとえばドラエモンの声で、話し掛けてくる、のはどうだろう?

AIが、分数の足し算において、こんな風に教えてくれる。

AI「ほら分母の数字が揃ってないよ」、子供「えっ?片方の分母が3でもうひとつが2だから・・・」、AI「分母をいくつにすればいいと思う?」、子供「えっと・・・」、AI「ちっちゃい方の数字を何倍かすると大きい方になるかい?」、子供「2と3だけどさ、2に2倍掛けるともう4で3を越えちゃうよ」、AI「よく気が付いたじゃん!そういうときはね、両方の数字を掛けちゃうんだ」、子供「2×3で・・・6?で、いいの?」

AI机が、子供のいろんな状態をセンシングして、勉強への興味を推し量り、ときに休憩時間に趣味の話にも乗ってあげて、趣味の質問にも答えて信頼を得て・・・・いいじゃん、これ(笑)

 そうか・・・もしこうなると塾業界もいまの業態のままではダメですね。子供も生身の人である先生との人間関係に悩まなくて済むからきっと自分だけにカスタマイズされたAI机とはうまくやっていけるんじゃないだろうか?

 少し前までは芸術表現まではさすがのAIも難しそうで、AIの作曲した人の心に深く残る美メロディというのを耳にしたことは、少なくともわたしはなかったけれど、この前とある写真コンテストの優秀作品に選ばれた作品がAIが作った画像だったというニュースを聞いたから、音楽でももうポール・マッカートニーを、あるいはモーツァルトを、AIが越えるかもしれないし、芥川賞も某出版社の開発したAIが受賞するかもしれないですね。そうなると作曲家も作家もいらなくなる?出版社は作家付きの担当編集者を抱える必要もなく、校正者も不要で、ただボタンを押すと自動的に工場で本が出来る・・・というか紙の本はその頃にはなくなっているのかな・・・まぁ、どう書かれようが構わないが、その小説を読むという行為はどうなるんだろう?結局人の脳にインプットするというところが一番時間のかかる作業になるのだろうか?では人間が社会の「流行」を作り「同時代的」に価値が動いたり留まったりしている、その流動性のところをAIが切り開くことは可能なのだろうか?各国政府の決定機能をAI化しておくと、ある視点に立てば、長らく地球を支配してきた人類は自ら生み出したコンピューターという製造物に地球の支配のようなことを委ねてしまったということになるが、その各国の政治機能AIの不可侵のところに「戦争はしない」とインプットしておけば、もしかすると戦争で人が死ぬことはなくなるのかな?だけどその不可侵を誰が護るのか?というところが問題になり、そこをAIに守らせると人類はもはや主体ではなくなるし、人に委ねると、一国どころか地球支配者が登場するリスクが発生する。

 意外と、すごく古い映画の「2001年宇宙の旅」でコンピューターHALが、人間が確率の低い方の手段を選択することに驚愕するような場面があったように、非完璧さ、非効率さ、曖昧さ、のようなことが人たる愛すべき特徴になってそれが浮かび上がるのかもしれないですね。

 夜になりZライトを付けて、灯りの中に本を置いて、ちゃんと椅子に座って、読書できるならば、さてなにを読みますか?春樹の「街と、その不確かな壁」は先日読み終わりました。ずっと自室の本棚にあり、読んでいない本がある。たとえば阿部昭の日記や森有正の思索の記録。長い連休にこんな古い本を読むのも良いかもしれない。

 でもこの写真の机はだいぶ前に、遠い町のホテルの部屋で撮っであったものなので、そういう読書は出来ないな。