青い店は何の店

 同僚の運転する車の助手席に乗り、激しい雨の中を走っているときに、この青い、たぶん使われていない建物を見つけたが、以前はなんの店だったんだろう?わずかに開店が10:00で閉店が20:00の店だったことがわかるだけだ。ありきたりの想像だけと、向かって右側の少し手前に張り出したガラスのスペースに、たとえば服を着たマネキンが飾ってあった洋服の店だったのではないか?と思った。いや、でもね、他の店だってみんななんとかなりそうだ。魚屋と言う可能性は少なそうだが。
 ギャラリー併設の古本喫茶で、アナログレコードが古いシャンソンを流している・・・そういう店ならば、のんびりしていて良さそうだ、と思うがそんなのはずいぶん乙女チックの甘ちゃんな気もする。第一、こうして閉店しているのだから、その店はうまく行かなかったのかもしれない(店の閉店がすべて経営破綻というわけではないけれど)。信号が変わり、車が動き出すから青い店は後方に去ってしまった。
 昭和40年代頃には、カナリアやジュウシマツや文鳥セキセイインコなどの小鳥を飼っている家は珍しくなかった。夏休みに東海道線高崎線を乗り継いで暮らしていた平塚市から、祖父母の住んでいた群馬県前橋市に何泊かで遊びに行く。祖父母の住んでいた、流れが速く水量が多い川がすぐ裏に流れている木造平屋の社宅では、祖父の趣味だったのか、カナリアを飼っていて、小鳥が生まれては鳥かごを買い増し、一番多いときには五つか六つの鳥かごが縁側に積まれていた。そんな中から一羽をもらって飼っていたこともあったが、寒い冬に死んでしまったと思う。冬の夜には鳥かごの上に布をかけて寒気を少しでも和らげる工夫が必要だったのに。
 鳥の餌はペットショップで飼ってきたヒエなのかアワなのか小さな乾いた植物の種のようなもので、陽射しに乾いた枯草のような香りがした。いまでもその匂いを思い出せる。餌にも籾殻があり、鳥が弾き飛ばしたそれが鳥籠の下に糞ともども落ちるので、頻繁な掃除が必要だった。
 もう一度、青い店が営業をしているところを想像、というか妄想してみる。何屋でもいいんだけど客商売で、私は客で、ある良く晴れた休日にこの店のドアを開ける。するとすぐ横に吊り下げられた鳥かごの中にいるカナリアが綺麗な声で鳴いている。その小鳥の声とドアが開いたことを知らせる小さなベルのチリンチリンという音を聞いて、奥から店主が出てくる。

 店主はもう何年も前に亡くなったはずのともだちだった。彼はお、久しぶり!と言う。思いだしてくれてありがとな、今日はオレがここの店主だ、と言った。私がここはなんの店か?と聞くと、それはもちろん熱帯魚の店だよ、そう言って彼が手を広げると店の中に水槽がたくさん現れ、青い光が水を照らし、グッピーネオンテトラが泳いでいた。それから私とともだちは中学の頃の思い出を話す。かれの趣味はあの頃から、熱帯魚だった。
 別のよく晴れた休日に、私はまた青い店の扉を開ける。青い店は上の写真と同じ、閉店した空家のようだが、実はこれでオープンしていると、わたしにはわかるのだった。ドアを開ける、カナリアが鳴き、ドアのベルが音を立てる。するとギターを抱えた男が出てきた。熱帯魚屋の亡くなったともだちとは別のもういないともだちだった。思い出してくれてありがとう、歌を聞いてくれ、と彼は言う。彼はマーチンのギターを大事そうに抱えて、スカボロフェアーを歌い、ノルウェーの森を歌い、オリジナル曲を歌った。
 君と会っているときの安心は、別れた途端に寂しさに変わる、不安に変わる、次の約束が薬だから、それを求めて電話をかけに、僕は十円玉握り、駅前の電話ボックスに行こうとしてるんだ。
 そんな歌詞。私が、次の約束を会ってるときに決めればよかったな、と言うと、彼は笑って、そう上手く行かないこともあるだろう、と言った。彼は高校のときにフォークソング·コンクールで入賞したことがあるのを思い出した。青い店に入れば亡くなったともだちに会えて、彼らの好きだったことを思い出せる。歌を歌ってくれたともだちに投げ銭として数百円をギターケースに入れた。彼はサンキューと言いながらふっと消えた。
 また別の日に……

 ずいぶんおっかない妄想をしてしまったな。だけど、こんな店があれば、ブラザー軒のおやじと妹にも会えるかもしれない。