土手沿いの紫陽花

 日曜日6月18日、早朝5時前に目が覚める。近所の川の土手の遊歩道沿いに紫陽花が植えられていたのを思い出して、首からカメラをぶら下げて自転車に乗って行ってみた。夏至まであと数日、いちばん早く陽が昇る季節で、最初の写真を撮ったのは画像データによると6:07だったが、もう太陽はだいぶ高く、早朝だからとたかをくくっていたが、Tシャツの背中にはすぐに汗が流れ始めた。今年の年初にヤフオクで買った1960年代(50年代かな?)に作られたライカのRマウントのズミクロンR50mmF2.0を、マウントアダプターを介してフルサイズセンサーのデジタルカメラキヤノンEOS R6)に付けてみる。それほど手入れされているとは思えない紫陽花の花は、雨の日には泥混じりの雨粒の跳ね返りを浴びたのだろうか、根に近い下の方の花は泥で汚れているものもある。最盛期を越えて花弁の縁が枯れかけた花も、もっと枯れ進んだ花もそのままに、そのすぐ横にはまだ蕾の花が並んでいる。紫陽花の花で人を集めるような「名所」では、こういう盛りを過ぎた花は閉園後か開園前に切られるのかもしれない。この土手道だって、ずっと並んで紫陽花が咲いているから、そういう風に植えたのは、人の意思だろうけれど、自然の山紫陽花ではないにせよ、その程よい手入れ、かつ、過度でない手入れが、良いなと思う。だけど撮るときは、やはり綺麗な花房を探してしまう。朝の斜光線を受けて花弁の縁が光るように撮りたいものだと思い、自分の立っている場所を少しづつ変えながら、花を見ている。 あるいはファインダー越しに花を見て、カメラを花に寄せたり離したりしてピントを合わせる。小一時間、写真を撮って、自転車にまたがり帰路。ほかに一人もカメラマンに出会わなかった。家を出る前にコップに水を二杯飲んできたが、汗をかいてしまい、ちょっと熱中症が怖くなった。今日のTシャツは毎年捨て候補になりながら最後に救い出している、人類がはじめて月に着陸したときの写真をコラージュしてある白地に黄色や赤や、黒の線が使われている図柄。

 月面着陸してアームストロング船長が最初の一歩を月面に記したとき、その小さな一歩は、人類にとって偉大な一歩だと、船長は言った。私はそれをテレビの同時通訳で聞いていた。固唾を飲んでテレビを見ていた。今朝のヤフーニュースで、ロシアの核兵器ベラルーシに運ばれたという記事を読んだ。60年代のレンズを絞り開放の至近距離で使って紫陽花を撮ると、やわらかく優しい描写になった。生成AIはAIとして学ぶときに違法な情報や著作権を無視した学び方をしてしまうことで倫理問題が問われている。初夏の花は紫陽花だけじゃない、帰路の畑のなかには名前がわからないたくさんの花が咲いていた。右の膝が少し痛い気がするから自転車を漕ぐときには左足で思い切りペダルを踏み、右足はあまり力を入れないようにしようと思い早速そうしてみる。とりあえず日曜の朝、わたしは元気です、と思いながら拓郎のアルバム「元気です」に入っている曲を思い出してみる。そして、元気になって、と思う。