急いで渡る必要もない

 向こうの渡りたい信号が青になっている。少し走らないと渡れないな・・・小走りになる。それでも信号は点滅に移行してしまう。それでもっスピードを上げて走って行き、渡ってしまおう。あるいは、電車が入線しているから、飛び乗ろうと、エスカレーターの右側(関西では左側)を駆け上る。ドアが閉まりかけてすり抜けるように飛び乗ったこともあった。いまは転びそうで出来ないが、今度は階段を下った先のホームに電車が入っているとすると、一段飛ばしで階段を駆け下りて、電車に飛び込む。そういうことが多い。そういうことをしない人もいるんだろう。ちょっと憧れる。だから最近は、そういうことをしないように、十分待てば次の電車が来るのだから、急ぐのは止めようと思う。信号にいたっては十分も待つことはない。長くても二分くらいじゃないか。だけど、こういう「急ぐのはやめよう」と思うときはそう意識しているときで、どうやら基本行動パターンは、急ぐ方にありそうだ。動く歩道も乗っかって立っているわけではなく、動く歩道の上を動く(歩く)方だ。

 かといって、約束の時刻、決めている到着したい時刻に、急がないと間に合わないわけではない。けっこう余裕を持って着くようにしている・・・にも関わらず走ってしまうのです。これが性格。

 暑いですね・・・三連休中日。夜も寝苦しい。夏の夜に自室の窓を開け放てば、昼間の暑気はだいぶ抜けて、エアコンなど付けずとも、せいぜい扇風機を回せば心地よい。そういうときに、なにか好きな飲み物を飲みながらでもいい、部屋の明かりを落として、窓の外から聞こえてくる音に耳を澄ませる。バスが通過していく、酔客が二人三人大きな声で楽しそうに話しながら西から東へ歩いて行く、夜のセミが鳴く、暗いのになんだろう?烏が鳴いた気がする。車が通ると、部屋の壁に映る影が動いて行く。映っているのは街路樹や家々の三角屋根。そういう時間をぼんやり過ごしていたい。

 と思うが、夜になると、こうしてパソコンに向き合って写真を整理したりブログを書くことで時間を使ってしまう。信号を渡ろうと、電車に飛び乗ろうと、走るのと似ているかもしれない。

 写真は7/15に横浜の桜木町駅近くの紅葉坂の交差点を渡る人たちです。