昔の日常が今の特別

 東京都写真美術館から三田橋でJRを越えて目黒三田通りを恵比寿駅の方に下って行くだらだら坂沿いの1960年代くらいに建てられたように見えるビルの一階の窓に、この人が歩くネオンサインが昼間から灯っています。左から右にいくつか人の形があって、順番に灯って行くのです。事務所か店舗の窓でしょうかね?その窓の前には写真のように横断禁止の交通標識があり、そこにも人の形が描かれています。そこに正対して待っていると、真夏の真昼間でもときどき人が歩いてきます。もっと10分20分と粘っていたら面白い写真が撮れるのかもしれませんが、せいぜい20秒くらいでまた歩きだしてしまいます。その20秒に二回か三回、歩行者が来る機会がありましたが、ネオンサインのどこが灯っているか、などなど、なかなか難しい。この電信柱が邪魔だとかなんとか、本末転倒極まりない、自分勝手な思いも起きたりします。

 東京都写真美術館の地階展示室では「風景論以降」。これがパンフレットの解説を読みつついくつもある動画作品をしっかり見ないと展示コンセプトをちゃんと理解できない感じの「学ぶための意欲とエネルギー」を要するような展示で、ちょっと隙間の時間にちゃちゃっと見ようと思っていただけだったので、消化不良におわりました。ただ展示作品のなかでは今井祝雄のレッドライトが面白かった。1976年頃から作家は常にカメラを携帯し、日常空間である大阪阿倍野付近で赤信号で停められるたびにその場所の写真を撮っていた。パンフレットには「日常の風景に包含される、目に見えない時間を可視化」などと解説してあります。まぁ解説はさておき(笑)、鑑賞者の現年齢にもよるけど、例えばいま60台の人が30-40年前に撮られた日常の街を撮った写真を見ることは特別の面白さを伴い、当時のカメラマンの意図や主被写体とは別に背景に写っているありふれた日常だった、いまは存在しなくなった風景、というものにすごく惹かれてしまう。懐かしさを覚えていく。写真は鑑賞している時代時代に鑑賞者にもたらす感情の違いをもっていつ撮られたものであろうが同時代に生きている、といつも思うのですが、それとともに、どこを鑑賞者が見ているかも変化していると思います。その変化を受け入れる写真が時間に対して強い写真なんだろうな。それを意識して今撮るということは実はとんでもなく難しいと思います。

 昔の日常が今の特別。