瓶に水を入れた楽器

 空のコップ、水を一杯入れたコップ、同じコップでも水のあるなし、あるいは水の量によって、その縁をなにかで叩いたときの音の高さが変化する。小学生の夏休みの自由研究を紹介するような、たぶんこの時期に一気にアクセス数が上がっていると思うネット記事でも、コップの水の量を変えてドレミ作ってみようというページがあった。コップがむかしはそればっかりだった三ツ矢サイダーの瓶で、空の状態と水を一杯入れた状態でどれくらい音の高低が出来るのか、サイダーの瓶だけで水の量を調整して並べると、ドレミファソラシドと一オクターブくらいはいけるのか?いけない気もする・・・

 先日の吉村弘展を観ながら、自分が青白い文学青年だった二十歳の頃に自分が書いたショートショートを思い出した。ある日主人公の「僕」とその友人の「某」が夏の午後を暑い暑いと言いながら縁側で寝転んで、昨晩の深夜ラジオの話をしたり、カセットテープでジャズを聴いたりして過ごしていると、そこに女の子が現れるという・・・その現れる理由は「某」と先日どこかの飲み屋で知り合ったとかなんとか、非常に適当なのだけれど。その現れた女の子がたくさんのサイダーの瓶を持ってきていて、それから夏の終わりの海辺へ行き、海水の量を調整しながら波打ち際にサイダー瓶をドレミファソラシドと並べ、拾った小石を使って瓶を叩きながら、三人で童謡の「海」を奏でて夏の終わりの夕暮れ時に夏を見送る、そんな話だった。だけど実際に三ツ矢サイダーの瓶で「海」が奏でられるのかはわかりません。

 もうもうもうちょっとで、今日を入れて四日かな・・・八月も終わりますが、相変わらず猛暑が続くようで、みなさまご自愛ください。