写真の手ごたえ

 写真は撮ったときに手ごたえがあっても、帰宅してモニター画面に映したときには、それほど自分が気に入る出来栄えではない・・・ということが最近は多い。そうであっても、その一方で、これはいいな・・・と撮ったときの手ごたえ以上に良い出来栄えに思えることがあればいいのだが、残念ながらそううまくはない。本当は第三者に見てもらうと、じぶんの手ごたえの有無とは全然違うものを選んでくれる(ということが経験的に多い)ので刺激になる。あ、これは、例えばこんな風な街角スナップ写真のセレクトにおける話で、スポーツや鉄道や風景(とくにこの日この場所この時刻にのみ見られる特別な自然の一瞬など)であれば、自分の手ごたえと第三者の支持が合致する確率が高いのかもしれないがそれは「いいとされる写真の尺度」が確立している分野ってことだから、そっちの話ではないです。もっと天邪鬼な世界のことです(笑)

 この写真は撮るときはけっこう「これはいいぞ」と思ったものでした。マンションの玄関の青い庇、それと対比する赤いポスト、白い壁を背景に立っている黒い服の人。だけど、帰宅してチェックしたときにはもう全然引っ掛からなかった。どうですかね?

 最近は読書スピードというか読書量が低下しています。読みたい本はたくさんあるけれど、なんだかスマホを見てしまっていたり、まぁこうして毎日ブログを書いているのも一因かもしれないけれど、読書に使える時間が確保できない・・・そうだ、夜すぐに眠くなるのも理由のひとつかもしれないですね。この眠さは、これこそいつのまにか溜まった夏の疲労のせいじゃないかと思っています。まだ20代の若者、島口大樹氏が書いた「鳥がぼくらは祈り、」(講談社文庫)。なんか文体に、こんなのは年寄りの感想だから、ご本人には申し訳ないことかもしれないけど、金井美恵子とか保坂和志とか磯崎憲一郎とか、日本の昭和平成の純文学の直系な匂いがある。もっともこの三人を一緒に括ることが乱暴ですね(笑)