カーラジオの長いアンテナ

 車種はわかりません。60年代の、ブルーバード?パブリカ?2020年の9月に撮ってあった写真。

 中学一年の頃だったと思う、隣の隣に住んでいた同学年の友だちと、その子のお母さんが運転するブルーバード(この写真の世代のブルーバードではなく、テールライトは縦に並んでいたと思う)に乗せられて、土曜日だったか日曜日だったのか、週に一回、引退した大学教授がご自宅で少人数の子供を集めて一回一時間、英語を教えてくれる塾に連れて行かれた。それで英語が上手くなったか成績が上がったか?そんなことにはつながらなかったんじゃないか?覚えているのは、暑い季節に砂糖が入った濃い麦茶が氷の入ったコップに注がれて出され、それを飲むのが楽しみだったこと。家で飲む、普通の濃さの砂糖を入れない麦茶も美味しかったけれど、この塾で飲むそれはなんだか別ものだった。1969年か1970年のことだ。塾が終わると、先生の家の南側のバス通りでブルーバードが迎えに来るのを待っていた。そのときに友だちとビートルズの話をしたことを覚えている。生意気な中学1年生は、最近のビートルズ(1970年だったとするとレットイットビーが出たビートルズ解散寸前の頃だ)もいいけど初期のわかりやすい勢いのある曲もいいよね、などと話し合っていた。友だちは「抱きしめたい」をあげて、私は「オールマイラビング」がいいと言ったと思う。

 ぎりぎりビートルズが現役だった頃(解散していない!)に、一見ビートルズとは無関係の神奈川県の湘南地方で中学生だったわたしにも彼らの音楽は届いていて、こんな風に話していたのだ。前にもこのブログに書いたかもしれないが、ヘイ・ジュードがヒットしていた頃のある休日、同じクラスの仲間の四人か五人がなにか学校関連の行事があって集まった日、行事が終わって商店街・・・あの頃はまだ駅ビルなんてなくて、郊外のモールももちろんなくて、駅から伸びる商店街にちゃんとたくさん人がいた・・・を歩きながら、みんなでヘイ・ジュードの後半のメロディを歌って歩いた。レコードショップに大きな「レット一トビー」のポスターが貼られていた光景も覚えている。

 だけどもちろん彼らの歌に勇気を得て、自由のためになにか行動を起こしたとか、体制に反対を表明したことはない。それはやはり中学生であり、トランジスタラジオから流れて来る彼らの楽曲のメロディーの美しさやかっこよさに痺れていただけだった。中学の掃除当番で廊下を掃除しているときにはハードデイズナイトのメロディを口ずさんだり、そんな感じ。でもそれが世界の隅々まで彼らの音楽が浸透していた証じゃないか。

 車の写真を見ていたらそんなことを思い出しました。ラジオを受信するための長いアンテナが目一杯伸びているのがいいですね。

 今日は録画しておいたNHKの「映像の世紀バタフライイフェクト」のビートルズ編上下を観たのでこんな話になりました。