時間が早く進む

 久しぶりに茅ケ崎の海へ行ってみた。海の家は解体中だった。海の家の解体といっても、組み立て式なので、「部品」にばらされ、倉庫に仕舞われ、来年また組み立てられるのだ。

 台風が通り過ぎて行ったばかりだからか、空気がとても澄んでいる。遠くまでくっきりと見渡せる。そして陽射しが強い。子供の頃にいちばん紫外線が強いのは9月だ、と聞かされたことがあった。一番かどうかはわからないが、紫外線が強いのはそうだと思う。海で遊んでいる人はまだ少しいるが、少年ばかりだった。あとはサーファー。サーファーは一年を通じていつもいる。

 子供の頃、爪先立ちをすればぎりぎり顔が出るくらいの深さの海で遊んだこともあったけれど、私は泳ぐのが苦手なので、あまり深いところには行かなかった。そういうふうに少しだけ「仲間はずれ」な感じは、飲み会のなかにいる下戸(それも私だ)の気分に似ているかもしれない。自分が可能な範囲の海遊びに参加して、皆が足が付かない沖のブイまで行こうとなると、じゃぁ砂浜で待っているよ、となるのだ。

 そういうときに、仰向けに寝転がって目を閉じる。すると眼の前が自分の血が透けて見えるから赤く見える。目を開けると太陽のある場所の網膜に、しばらく残像ができてしまう。残像はむしろ濃い色だ、そのうちに消えるけれど。そういう自分の目で見えている実景でないもの、自分の身体が生きているが故に現れるものが面白くて、同時に怖かった。そのうちに友だちが沖から戻って来て、彼らの濡れた身体から海水の水滴が、もう乾いてしまっている自分の身体に数滴落ちる。

 それから私はもうみんなの仲間に戻って、テレビの話や女子の話や宿題の話をする。するともう夏至からふた月ちかく経っている夏の昼下がりの時間は、思っているよりずっと早く進む。夕方5時のチャイムが聞こえると、だからそれは、必ず「もう5時?!」という驚きの気持ちを伴うのだった。

 とこう書いてきたら。フジファブリックの「若者のすべて」の歌詞がとても腑に落ちますね。

♪ 夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて 「運命」なんて便利なもので ぼんやりさせて ♪