1793年の見聞と今の見聞

 駒込東洋文庫に展示してあった環海異聞を撮ったものです。これが企画展だったのか常設だったのかは忘れました。解説も撮ってあったのでそれによると「1793年から1804年にかけてロシアへの漂流と世界周遊を経験した日本人の見聞録。ペテルブルグの博物館を見学した際に、プラネタリウムのようなものを体験し、大仏の体内に入るがごとしと記載し、その装置を不思議がった」要約するとそういうことが解説してあった。8月終わりの満月は月に二回目でかつ平均よりだいぶ大きく見えることから、わたしの知人のTさんなどは、たぶん今までも欲しくてだけど逡巡していたのだろうけれど、この満月を踏ん切りにして望遠ズームレンズを購入していました。秋がはじまるとなんとなく空を見上げることが多くなる(気がします)。秋の雲は空高く、たとえばうろこ雲が現れて、空の雲が変化したことで、秋になったと思ったものだった。

 グローバルでいろんな情報をすぐに入手できるようになったから、事前にいろいろと学べるし、どこか遠い国にしかいない生き物の動画も見ることが出来る。だからこの漂流した日本人が体験した日々の驚きのような大きな驚きっていまの世の中ではもうあまり体験できないんじゃないか。そんなことを思う一方で、海外ではなくて国内ですら現地に行って体験するとびっくりすることもたくさんある。だからその驚きをネタにして視聴率を稼げる番組だってまだ成立できるんだろう。

 ではそれを個人に当てはめて、自分自身が「えっ!なにこれ!」と驚いたような「見聞」の体験ってあっただろうか?それがなかなか浮かばないのです。年齢のせいなのかな・・・・と少しがっかりする。

 日本でアイフォン(スマホ)がはじめて登場した2008年、早速それを購入した方が、たしか、自分の年代を選ぶとその世代に刺さる音楽が自動的に流れて来るというアプリを起動させながら、これは面白いよ!とおっしゃっていたのを覚えているし、その数年後にiPadを買った年配の方が、むかしのジャズ演奏の場面の動画を収集しているのを(たぶんYOUTUBEの黎明期)見せてくれた。あの頃のわたしはクラウドの先にあるデータに対して課金されることの違和感が、いまもそれは苦手だけど、理解できずに、前者の音楽も後者の動画も、自分の持っているメモリーにどう保存して、さらにそこから固形の媒体(CDRとかDVDRとか)にどう残すのか?という当時の感覚で自分の物にする方法にこだわっていたように思います。たぶんそういう価値観は、自分の中ではいまも消えていないから、音楽をダウンロードで買うのはCDが売られてなかったりすごく高かったときで、基本はCDで買っている。本も紙がやっぱりいいな。