城址公園の猿舎


 村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に小田原城址公園の動物園が舞台のひとつとして出て来る。『お城のなかに動物園のある町なんて小田原以外にはまずないだろう。変わった町だ。』春樹氏がそんなことを書いたせいかどうか、その後、この動物園は縮小され、最後に残っていた猿舎の猿の引き取り先が決まり、年内には閉鎖される。

 今日、その動物園を1980年代頃に撮ったモノクロのプリントをたまたま古い写真プリントを見ていて見つけた。そのプリントを接写した。

 小説の主人公は、動物園で『僕らはだいたい猿を見ていた。猿を見ていると飽きない。おそらくその光景がある種の社会を連想させるからだろう。』と考える。写真には上の写真のとおり、その猿の檻も撮ってあった。ほかに撮ってあった写真を見ると、ずいぶん大勢の客が動物を見物している。とくに象が人気のようだ。もうずいぶん前に亡くなった象が元気に鼻を上に振り上げた写真もあった。猿や象から見ると、集まって来る人たちをみて、彼らの話していることを聞いていれば、全部が全部こっちを見ることに夢中になっているわけではなく、動物を見ながらも悩みを相談している人もいて、だから長年こうしているだけで、人間の社会がどんなものかは連想できる。なかなか生きにくそうだ。と思っていたかもしれない。すなわち人が猿を見て社会を連想するのであれば、もしかしたら猿は人を見て(猿の、生きにくい)社会を連想するのかもしれない。・・・そんなことないか・・・

 20歳の頃に、当時の私は名古屋の大学に通っていて名古屋市に下宿していたのだが、春休みに実家のある平塚市に戻っていて、桜が満開の日に小田原から新幹線に乗って名古屋へ帰った(どっちが帰るでどっちが行くと感じるかで、暮らしの主体をどちらで認識しているかわかる。名古屋へは「帰る」という感覚だったから、もう学生として自分の家は一人で暮らす名古屋なのだった)。その日に高校時代の友人が小田原まで来てくれて、桜の写真を撮ったり、眺めたりし、どこかの喫茶店で時間を調整したりしたと思う。友人は一浪して都内の大学に入り、わたしは現役で合格していたから、たとえばその年に彼が一年だったとすると私は二年だった。その喫茶店で、彼は浪人の年の常に軽いが持続的なストレスを感じ続けていた苦しさを話して、おまえはそういうことを経験してないから人生ということでいえば経験がない分、大人になれてないぞ、と言うのだった。でも故意に苦しい状態を選ぶことはしないから、これはどうしようもないじゃないか、と思ったものだ。

 小田原の思い出。