公衆電話

 1990年前後の横浜のどこか。公衆電話はあちこちにあり、ときには前の人が空くのを列を作って待っている。この写真は簡易的な屋根があるだけですが、いわゆるガラス張りの公衆電話ボックス、なかに人が入れるボックス内には小さな鏡があって、外で待っている人がいるかどうかをいちいち振り返らずとも気付けるようになっていましたね。

 コンサートなどのチケットを予約するときにも、電話を使った(いまもそういうのあるのかな?)もちろん家電(いえでん)でも良かったけど、国際通話ができる公衆電話ボックスからが、いちばん繋がりやすいという噂?都市伝説?本当にそうだった?があって、わざわざそういう電話ボックスまで行ったこともありましたね。いちばん失敗したのは友だちたちとBBQをやることになった休日に、トヨタカップ(いまはクラブ世界一を決めるサッカーの大会として別の名前になっている)のチケット販売が10時からスタートとなっていて、すぐに取れるだろうと思い、ささっと皆から離れて電話ボックスに行ったら、いやー掛からない掛からない・・・ずーっとお話し中で・・・やっと電話がつながりチケットが予約出来たときには二時間過ぎていて、BBQに戻ったらもうすっかり終わっていたという出来事でした。

 電話を掛けるというのは恋人とのコミュニケーションの重要手段だったから、携帯電話やスマホが登場するまえの時代のラブソングには、やたら電話が歌詞のなかに出てきました。いまもスマホで電話はできるけど、とくに日本人は「電話で話す」という行為よりラインやメールでやりとりをする、いまでは相手がどういう状況にあるのかわかんないのにいきなり電話をするのは失礼だ、なんて考え方もけっこうあるんだろう。数年前までよく海外に出張していた、あの頃は少なくとも、海外の方は日本人と違って、みなさんよく携帯やスマホを耳に当てて電話をしていたと思う。いまはどうなんだろう?

 ラブソングに電話機能のことはあまり出て来なくなったから、恋愛におけるコミュニケーションにおいて電話の果たす役割は減ったのか、電話という言い方をしなくなってスマホの通話機能という言い方になっていて、だから、歌詞でもいちいち電話とは通話とか言わなくなっただけなのか?

 自分も電話はほとんど使わなくなりました。ネット予約が出来ない飲食店を予約するときと、突発的な問題が自家用車に生じたときの車のディーラーへの相談と、ラインやメールで決めた時間と場所で仲間や友人や家族に会えなかったときでかつ急いでいるとき(急いでなければこれだってライン)、年に数回あるかないか・・・