時の過ぎゆくままに

 神奈川県中郡大磯町にある国道沿いの有名な鰻屋さん。吉田茂も通ったとか。あるいは開高健のエッセイにも書かれていたような・・・気がする。価格がだいぶ高いのはさておき、わたしも何十年も生きてきたなかで三回か四回、一番最近はそれでももう15年くらい前だったと思う、この店で食べたことがあります。二階に数部屋和室があり、たぶん個室だったんじゃないかな。

 先日、1950年代に造られたオールドレンズを最新の(と感じるものの発売後7年経った旧モデルの)ミラーレスカメラにくっつけて、国道一号線沿いを歩いていて、ちょうど車の往来が途絶えたところで道の向こうを見ると、鰻屋だった。松も、鰻を焼く白壁の建物も、奥の店舗になる木造二階建ても、風情を感じる。白がオールドレンズの低画質性能によって、低画質がもたらす懐かし成分がうまく昇華して、滲むように写っていて気に入っています。高画質の反対語は低画質ではなくて萌え画質になることがありますね。

 こういう誰もいないぽかんと晴れた街角のなにげない写真を見ていると、そのときの自分の精神状態や体調にもよるのだろうけれど、妙に「時の流れの儚さよ・・・」ということを感じたりしますが、どうなんでしょう?それは繰り返してきたありふれた昼下がりの日の光と、ありふれた街角の風景が、ごちゃまぜになってひとつの印象として、ひとつの雰囲気として、心に記憶されている。そこに属していくだろう新しい今のごちゃ混ぜになる前の「ここ」「ここのいま」「いまの風景」が、ごちゃまぜの入り口として機能しているからなのかな。

♪時の過ぎゆくままに この身を任せ 男と女がただよいながら もしも二人が・・・♪

という歌詞がありました。あるいは

♪時がたってしまうことを 忘れてしまいたい時があるよね すべてのものが なにもかも 移り変わってはいるものの なんとなく自分だけ意地をはり通して さからってみたくなる時があるよね・・・♪

そんな二曲をこの文章を書いていたら思い出しました。