そう伝えたかった

 2017年の11月23日、私は、今もそう、その頃もそう、もっと以前もずっとそうだったように、カメラを持って歩いていた。この日は茅ケ崎の海岸を歩いていた。この通り、写真に証拠が残っている、写真が残っていなければ、なにも憶えていないはずの6年前晩秋の日だ。この6年前の秋、六本木の美術館で安藤忠雄展をやっていた年だ。だけどこの写真も、その前後の写真を眺めても、なにも思い出せない・・・と思って順に写真を見ていたら、その日に撮った写真の最後の数枚に、当時茅ケ崎にあったコーヒーロースターでテイクアウトでホットコーヒーを買っている、そのカップの写真や店内の写真が数枚撮ってあった。あぁ、そうか、あのロースターはいまは名前も変わってしまって、だけどロースターとしてまだあるよな、そして確かにテイクアウトで珈琲を買ったことがあった・・・あれが6年前の11月のことだったのか・・・。そこまで思い出すと、とぼとぼと珈琲を啜って歩いたその午後遅い時間が、寒かったことを思い出した。それから辿った道筋や、写真に撮っていないのに、夕刻の光の暗さと明るさを思い出した。それから、そんな風にコーヒーロースターでテイクアウトの珈琲を買って鉄砲通りと呼ばれるバス通りを珈琲を啜って歩くという行動自体にちょっと緊張があって(そんなことは今までしたことがなかったから)、その行動に無意識ではいられず、それを肯定したいということに意識的であって、珈琲の味を冷静に楽しむというより、これは美味しいと思うことが必要だ、といったような切迫感が微妙に少しだけだろうけれど、多分、そうであった。というようなことを、さーっと思い出した。

 ほら、晩秋の夕刻、寒い夕方に、温かい珈琲を私はいま飲んでいるよ、そういう日常を誰かに伝えたい、伝えたいための行動だったのかもしれない。