秋の穏やかな、いち日

 銀杏や楓の葉はまだまだ緑色であっても、きっと盛夏のときの葉を隣に置けば、ずいぶんと濃い緑から薄い色へと淡く変わっているのだろう。桜はもう赤や茶色に葉の色を変えて、すっかり落葉した木もある。京都大学のキャンパスの中を散歩しました。学生や学生ではない人々が次々に行き交うのは活気を感じます。校舎は歴史的建造物指定を受けている戦前のものも、60年代建築らしいモダニズムの香り高きものも、最新のガラスを多用したものも、どれも目を瞠るばかり。かっこいい、かっこいい、と、呟きつつ興奮していました。その中であまり人が出入りしていない様子だった教育推進・学生支援部棟の煉瓦造りの校舎の、更にその中庭は誰一人おらず、静かです。このベンチに座り、持ってきたポッドに入れた熱い紅茶を飲み、小さなクッキーでも齧りながら、読書できると至福だろうな。ポッドもクッキーも無く、次の予定に急かされて、なんのことはない今朝自分の立てた予定に過ぎないのに、座ることも読書もしなかった。些細なことは些細な後悔になりました。

 でも、そのあとに大学を離れて、電車に短い時間乗ってから、久々に訪ねた恵文社一乗寺店は、不思議な店ですね、何度行っても。並べられた本がどれもこれも魅力的で読みたくなる。同じ本に別の本屋で出会っても、スルーしてるかもしれないのに。そして、近くのカフェでは一時間、苦いコーヒーを飲みながら読書をすることが出来ました。

 今日も日が落ちたあとの西の空は群青色に染まり、澄んでいた。人の心の中の波が、目には目を歯には歯を、を繰り返すと、同期してしまった波のように波高は高くなり、収集がつかなくなる。辛くて、幼子の泣いている報道を見ることが出来ません。皆の心に澄んだ平穏が来るためには、忍耐や犠牲を容認する苦しさが必要なのだろうか?よくわからない。わからないけれど……

 秋の夜長に買って来た小さな詩集を読みましょう。