10年前の六義園

 写真は10年前、2013年の12月上旬の東京は六義園の紅葉です。前も書いたかもしれない話。私が30歳頃にご定年を迎えていたSさん(いまご存命なら100歳近い)は下町、尾久のあたりに生まれ育った江戸っ子だった。一度だけご自宅にお邪魔したことがあった。彼は東京からどこかへ行こうなんて思わないと酔っぱらって言っていた。京都までわざわざ足を運んで寺だ庭だと騒いでるが、庭を見たければ六義園に行けばいい、と言っていた。その六義園の紅葉です。

 ここのところ、当たり前だけれど、ブログやインスタでは紅葉の写真がすごく多い。そして、いろんな「あの手この手」でとても劇的だったり美しい紅葉写真をたくさん見ることができる。もみじは新緑もとても美しいのだが、春ならソメイヨシノの花を、秋ならイチョウやカエデの紅葉を観ることに、撮ることに、皆がこれだけ集中して夢中になるのは、やはりその見ごろの期間が短いからなんだろう。よくそういう場所に行くと「ちょっと早かった」と「ちょっと遅かった」という感想を話している方がいる。もうこれ必ずいる。この写真はライトアップされているから、ちょっと遅かったり早かったりしても派手な演出効果で見ごろのように見える。たぶん右のカエデは「ちょっと遅かった」部類なんじゃないか。でも、人間にとっての見ごろのピークかどうかなんて、植物としてはどうでもよくて、ただ季節のなかで一年で回って行く生命の積み重ねを忠実に果たしてる。そう考えると、ちょっと早いとかちょっと遅いと思うのは当然の気持ちだとしても、一方で、早かろうが遅かろうが、いま目の前にある木々をちゃんと見て愛でようよ、とも思うのです。

 それにしても紅葉が過ぎれば木枯らしが吹いて、山茶花が咲いて、もっともっと寒くなる。もう大晦日までひと月を切っている。一年はあっという間に過ぎるけれど、それはうかうかしていて、一日一日をなんとなく生きてきた結果の思いなのだろうか。それともその反対に一日一日にやることが一杯で忙しいから目まぐるしく日が過ぎた結果なのだろうか。結局どっちであっても一年はあっという間に過ぎて行くという言い方になるんだろう。

 今年から(というか来年の正月に届く)年賀状を止めたいが、一年前に書いた年賀状にそういう宣言を書かなかったから、今年は年賀状を書かなければならないのだろうか・・・目下の憂鬱です。

 あ、そうだ、数日前に私が読んでいる本を撮った写真を載せましたが、あの本は小川国男著角川文庫版の「リラの頃、カサブランカへ」でした。そうかな?と思い本棚から取り出してみたらそうだった。45年くらい前に何回か再読するくらい好きな本だった。パリとカサブランカとオートバイとリラの花が出て来るやつ。そしてブックコメにUさんが書いてくれた通り、挿絵は野見山暁治でした!