芥川賞

 ニュースを見ていて、昨晩発表された芥川賞の受賞作が全体の5%程度、生成AIが書いたままの文章を使っていると知りました。面白いですね。それに対して生成AIが書いた文章なんて創作ではないという極端な意見もあるみたいですが、時代というのはそうやって進むもので、さらにそれを一番に取り入れて、結果として芥川賞受賞に相応しい文芸作品を生み出している(彼らの人選や審査基準にさらに物申す人がいるんだろうけれど、とにもかくにも文学界の重鎮が責任をもって選んでいる、そこには創作の「方法」なんて関係なくて、内容が賞に相応しい斬新さと、同時に読者を引き込む力を持っていると評価されたってことだろう)のだから、素晴らしい。同時代的な手法だと思います!

 工場のラインに並んで製品組み立てを行っていた方々が自動組み立てロボットに仕事を譲って、ではどこへ行くかと言えば、自動組み立てロボットの保守メンテや、上流下流の人でないと出来ない職場なんだろう。生成AIが小説を書く、その作品が読者を掴むには、なにをもとにどういう指示で書かせるか、書いたものを評価してそのインプットをどう変えていくか、ということが工場に照らし合わせると、そういうことだろうか。

 すると作家という職業の中身がずいぶん変わるんでしょうね。まぁでも以前アメリカの社会派もしくは理科系の長編のミステリー作品のなかには、調査についやす要員の数や費用が膨大で、作家はそれらをベースに、これまた会議で出されたエンタテイメントたるストーリーに沿って、読ませる文章を書けるというスキルをもって、全体の「執筆」という部分を「担当している」という総合力で制作される、映画なんかもそうかもしれませんね、と聞いたこともあるから、それをベースに考えると、スリム化するためにたくさんある作業の置き換え可能なところをAI化するのは当然なんだろう。というわけで?ぜひ読んでみたいですね。そして、読者が感動して、学ぶところがあって、面白ければ、誰が(人か機械かも含め)書いていようが、それが良き小説だと思います。まぁね、内情としてはAIがなにをどう参考にしたのか?というところに倫理的なあれこれを言い出すときりがないんだろうから、そう簡単じゃないのかしら。

 で、次に思ったのは、では作品の差別化はなにに掛かって来るのか?機械が書いた一次原稿を完成に持ち込むところに人が関与して差が生まれるのか?インプット条件をどう作るかにかかっているのか?ずらりと執筆用生成AIの最新機種が、K書店にもS社にも・・・競争する出版社に同じものがあったとして、最新のバージョンで同じ指示を入れると、すべての出版社で同じ小説が得られてしまう・・・ところからどうやって差別化するのか?

 写真は文とは全然関係ないです。昨年12月の街角。フイルムで撮るとデジタルよりもただの街角がいい感じに見えて来るのは不思議・・・