落果のある乾いた道

 乾いた土の上にモミジバフウの実がたくさん落果していました。オールドレンズで撮影。

 先日、広い年齢層にまたがる会社の懇親会に出席しました。9名で私が一番年上。一番若かった女性が25歳でした。20代ひとり、30代ふたり、40代ふたり、50台ふたり、60代ふたり。

 さらに先日、高等学校時代に自宅から会社に自転車通学をしていた日々のことを思い出す機会があって、いちど子供の乗る自転車に出合い頭にぶつかってしまい、子供自転車が転倒し、でも子供は大丈夫と言うからそのまま帰宅したけれど、でも心配だった・・・という思い出があり、そのことを思い出すと、なぜかローリング・ストーンズのアンジーというバラッドがセットで思い出されるということを思い出した。なんだか思い出すのを思い出すという二重構造ですね。

 アンジーのヒットは1973年で私はまさに高校生だったから、そこから類推すると、子供自転車とぶつかった日に帰宅したあとにラジオを付けたらアンジーが流れたというようななんらかの結びつきがあったからセットで覚えているんだろうな。この曲が入っている「山羊の頭のスープ」というアルバムも、シングルレコードも持っていなかったから、ラジオから流れたのだろう。よくFMラジオで洋楽トップ10のような番組を聴いていたものです。そんなことを思い出のセット現象を思い出したから、若い人のいる懇親会でなんとなく音楽の話になったときに、曲には自分自身の記憶がまとわりつくもんだ、という話になりこのことを披露してしまった。さらにそのうえに、私なんかビートルズの解散前、ヘイジュードがヒットしていた頃のことや、アビーロードのアルバムが出たときのレコード屋の景色も知っているんだよ、とかさらに余計なことを話してしまい、やれやれ情けない、お年寄りの戯言ですな。みんな感心したような顔をして「すごーい」とか言うけれど、内心は「やれやれ困ったものだ」なんだろうな。

 それから最近どんな曲を聴いているか?や演歌を聴く人は徐々に減っているのかいないのか?という話になっていき、皆さんが知っていたミセス・グリーン・アップルというバンドのことを私は知らなかった。

 だけど最近のバンドの曲を聴いていないってわけでもないんですね。たまたまなんらかの理由で知ることになり、Spotifyなんかで聴いたら、いいじゃん!と思うときもあるわけです。