椿庭園にて

 本日3/16は土曜日、物音で早朝4時前に目が覚めてしまい、そのまま眠れず起きてしまった。起きているけれど頭はなんだかぼーっとしている、ぼーっとしているけれど眠れない。そんなぼーっとした頭のまんまパソコンを付けて、いつものように古い写真、今日は2008年?ちょっと前じゃん、と思いきや、もうなに、それは十六年も前なのですね。でも写真はその日に撮ったそのままのデータで、デジタルデータは褪せることもなく.jpegの規則通りに同じように画像としてモニターに現れて来る。そして画像となって現れると、それがなくては決して思い出すことはないだろう、その日のことがちょっとだけでも思い出せるんですよね、場所などもなんとなくわかってきて、そうそうこのときは・・・となる。これはもちろんのこと写真なんだからそういうもんだ、となるわけだけど、フイルム時代と違って、めったやたらに所謂「ライフログ」的に撮ってあると、ちょっと「そういうもんだ」の「そういう」がもっと以前とは違っているんじゃないか。でもそれを具体的には言えないな、そんな気がするだけ。

 それで時刻が9時ころになったら急に眠くなってきた。しかしここで眠ってしまうと、一日棒に振る感じがして焦ってしまう。せっかく五月の暖かさだという晴れた気持ちの良い土曜日なのだからと、頭がぼーっとして身体もだるい感じであっても、カメラを持って外に出て、藤沢駅JR東日本東海道線の駅)までふた駅、久しぶりに藤沢の駅周りをぶらついてみました。というのも早朝にパソコンで見た2008年にしょっちゅう藤沢駅周りを撮ってあったので、その後街がどう変わったかを見たいという気分もあったんだろうな。

 写真は出来立てほやほやの新しいビルなんかを観に行って撮ったりもするけれど、やはり懐かしい場所や物を撮りがちで、写真がそもそも過去と親和性が高いだろうから、たとえば20歳のカメラマンであっても自分が10歳15歳18歳の過去を懐かしく思って、その懐かしさを感じる場所やモノにカメラを向けがちなんじゃないかな、ましてやもっと年を取ると余計そうなるのが自然なのかもしれない。だからおじさんやお爺さんになるとカメラ趣味の人が、スマホカメラだけではなく、カメラ趣味に惹かれて行くんじゃないか。まぁその良し悪しに意見があって、それにとらわれないことがまず大事だと思う人もいるかもしれない。目の前のものを私情をなるべく挟まずに撮ることの難しさは懐かしさからどう逃げるか、かもしれない。

 すなわち2008年にそのときに懐かしいと感じたものをたくさん撮ってある、それは2008年時点でもうすぐなくなりそうな藤沢の遊郭の合った辺りに残っていたタイル張りの旅館やら、木造の長屋の飲み屋街や。あるいは未舗装で白っちゃけた感じの広い駐車場や。500円くらいのモーニングセットを出す昭和からあった喫茶店も。そうだから、たぶん2024年に藤沢に行っても、2008年に撮った場所はほとんど消えているだろう、なんだかそれを確認に行った感じ。そしてほとんどがそうだった、けれど、なんと昔ながらの古本屋が四軒あったうち二軒がまだやっていてちょっと驚いてしまった。その頃に森山大道の「四区」だったかな、それを買った駅に近い古書店には、いまも写真集を売っていて、70年の朝日ソノラマ写真選書なども、そしてどの本も「正しい値段」が付いていて、とても買えないのだった。むかしはBOOKOFFには正しくない安価な値段の写真集がけっこうあって、店内で値段を調べて「せどり」している人をよく見かけましたね。古書店でもときどき「安っ!」というのがあった。でもそういうお買い得感のある本を見つける楽しさももうなくなりましたね。ネットの時代で商売するほうも正しい価格をちゃんと把握できるんだろう。

 そんなことをふと思ったりして、だけどぼーっとだるい身体のまま、さてどうしたものか?と思案に暮れると、そうだ!茅ケ崎の氷室椿庭園では椿の花が盛んな時期なんじゃないかな、とふと思い出したのです。それでたまたまオールドレンズの50mmF1.4をバッグに入れておいたこともあって、そのあと椿の写真を撮った、そういう土曜日でした。午後5時頃に帰宅してから早速二時間ほど昼寝をいたしました。