いいじゃんと思える写真が全然撮れなくなっている件

 以下、とてもくだらない文章なので、読んでいただくのが申し訳ないな・・・

 写真は少し前、5月の陽気になった暖かい日に、横浜駅から気まぐれに道を選んで歩いて行ったらあった横浜ゲイトタワーという高層ビルの低層階の、一般の人も入れるレストラン街あたりです。高層階はオフィスなので、そこの社員しか入れないのだろう。それからこの写真の左側の通路、小さく人影が写っている通路を奥に進んで行くと、大きな球体状の建造物があって、コニカミノルタプラネタリウムのようでした。

 まぁこんな写真を選んでなんとか載せたけど、どってことない写真ですね、最近はやりの新しい街のなかに小さく後ろ姿やシルエットの人を配置するような写真。その手の写真のなかでも全然ダメなレベルですね。

 自分の実感として、最近は街を歩いてたくさん写真を撮って、それを見返したときに、おっこれいいじゃん、と思う写真が撮れている割合が非常に低い。ある魚の漁獲量が年を経てどんどん減ってしまったというニュースがあると、横軸に西暦を、縦軸にその魚の漁獲量を取った棒グラフで示されるように、横軸に西暦を縦軸に自分が撮った写真から「おっ、これいいじゃん」と自分が思えた写真の数を取った棒グラフを作れば、それと全く同じ形になるんじゃないかな?なんて思ってます。まぁね、実は読了した本の冊数だって同じようなグラフになるわけです。

 たとえば砂浜にカメラを持っていくと、そこに遊びに来て居る人が三々五々いたり、サーファーが波に乗ったり、景色だってダイナミックな雲が焼けたり、シルエットになった箱根山や富士山が見えたり、そういうちょっと素敵な光景を、人やサーファーや波や雲や空や山並みが、いつだって作ってくれている。それをちゃちゃっと撮ると、なんとなくいい雰囲気の写真が写るけど、それも実は惰性に基づく結果なんじゃないか。

 ちゃんと上のような新しい街とか、砂浜じゃなくて、雑然とした「生きている町」でそういう写真が撮りたいんだけど・・・まぁスランプってことでしょうかね(笑)

 フイルムカメラを持ちだすとなにかが修正されるだろうか?むしろしばらく写真を撮んないでいた方がいいのかな?いや、それより撮りたい写真のコンセプト(と言うほどでもないけど)のようなことに全く意識的ではないからかな。なにか機材の縛りとか普通じゃない撮り方にこだわればいいのかな・・・こんなこともあるものです。

 すいませんつまらない文章でどうでもいい独白のようなことでした・・・