場所の印象

 台風の進みが遅いです。今日は、いちにちずっと自室にいました。読書がはかどったかと言えば、あまり進まず、ほんの数十分のうたたねを二度くらいしたでしょうか。あとはそう・・・本棚のある段を使って、奥に二重に詰め込まれていたCDにどんなものがあったっけ?と眺めてみて、1990年代に購入してその後に聴かなくなり、したがってPCやiPODに音楽ファイルとして落としてもいなかったアルバムを何枚か引っ張り出し、何枚か聴いてみましたが、部屋のポータブルエアコンの稼働音がうるさくて、音楽を聴く感じじゃなくて、すぐにやめてしまいました。リンドバーグのⅤとⅧ、友部正人ベストセレクション、佐野元春のスイート16、ミスチルの深海、そういうのです。夕方になりパソコンをONしてから写真を何枚かフォトショで加工して、あとはぼんやりと台風のニュースを見ていました。そのときそのときには時間が遅く流れていて、まだ××時なのか!って感じだったのですが、こうして夜になると、もう夜か、とも思います。

 明日は台風一過で晴れるとともに、気温は東京で38℃の予想になっていて、台風が過ぎても、少なくとも気温という側面においては、まだ秋めいては来ないようです。だけど日暮れは早くなりましたね。

 十日ほど前に自家用車を運転して信州の八ヶ岳周辺と安曇野の美術館をいくつか、一泊二日で回ってきました。松本市内のホテルに泊まり、朝早く、5時台、松本城も外側だけ見てきました。

 写真はそうしていくつか回った美術館のうち、安曇野の漆画家の高橋節郎記念美術館です。写真の新しい素晴らしい建物が展示棟というのか美術館本館にあたり、この右手には高橋節郎の育った旧家と蔵が保存されて公開されていました。写真の桜は春にはもちろん花を咲かせるそうです。そのときの天気や光の加減、風や湿度、自分の体調やここに到る心の状態、あるいはほかの客の有無など、いろいろな条件が重なって、その場所の印象が出来上がるわけですが、だから再訪したとしても同じような気持ちになるのかどうかわかりませんが、心洗われる空間でゆっくりと「あぁ、いいなあ」と思える時間を過ごせたと思います。以前、金沢市にある鈴木大拙館に行ったときにも同じような感動を建物と空間から感じました。

 まだまだ暑いけれど、あと二週間すると八月が終わり、きっと九月になっても暑いのでしょう。でも、あとたった二週間で八月が終わり、八月までが夏だという考えに従えば夏が終るんです。もちろんエンドレス・サマーという実際の季節とは関係なく、いつまでも夏にいる、という言い方もあり、その終わらない夏は、青春の春よりずっとロックっぽいかもしれない。9月になったからといってお澄まし顔、よそ行き顔で冷静にならなくてもいいじゃない、と思うのは夏に未練のある、夏が好きな人の思いでしょうか。でも秋になったらなったで、秋っていいですね、と言って、なにやら秋を楽しむんだろうな。具体的にはいまはわからない、秋になったらなにをしたらいいんだっけ?