追体験の時代

 前回このブログ記事を書いてから一週間以上も経ってしまいました。気温の数字だけ見るとずーっと真夏が続いているようで、たしかに真昼間にカメラをぶら下げてどこ屋外で写真を撮っていると、Tシャツはもちろん、薄いリネンのパンツも汗で腿などに貼り付いてしまいます。もう十年以上前の話ですが、たぶん、こういう汗まみれの状態で和食のレストランのランチを食べようと入った店のカウンター席に座ろうと足を曲げたときに、汗で太腿に貼り付いてしまったパンツの布がうまく腿の上を滑れずに、一か所が引っ張られてしまい、一気に右足だったかなあ、太ももの付け根から膝のあたりまで、足の外側の縫い目に沿って布が裂けたことがありました。そういう経験があったので、たとえばしゃがんで写真を撮るときなどには、同じことが起きないように、しゃがむ前にパンツの布と腿のあいだが貼り付いてないように引っ張って隙間を作ってから座ったりしています。パンツが裂けたときは食事の後に近くにあったアウトドアのコロンビアの店に飛び込んで、なんでもいいからパンツを買わなくてはと、8000円くらいだったでしょうか、セール中だったかな、オリーブ色のワークパンツを買いました。ところが買い物の経験上よくあるのですが、こういうじっくりと選んで、これが欲しい!と思い極めて少し高価でもがんばって買ったのではない物が、意外と良くて、ずーっと使うことになることがありますね。このコロンビアのワークパンツは今年も重宝してまだ使い続けています。

 気温は相変わらず高いけれど、季節が進み晩夏になっているという感覚は、からだの五感のどこが反応しているのか、わかります。単に夕方が来るのが早くなった、あるいは、コオロギの声がたくさん聞こえるようになった、というだけかもしれませんが。台風が来ていますね。あと四日後くらいが台風接近で大変な風雨になりそうです。

 昨日、なんとなくテレビを付けてみたらNHKのちこちゃんは知っているで、どうして同じ観光地で同じアングルでたくさんの写真が撮られているのか、という質問がありました。その答えを急いでスマホのメモ機能にメモしたのですが、曰く

『自分もこの世界に参加している満足感を得るため。観光地という舞台で、以前見た写真という台本を演じて満足を得ている。いまの時代は新発見に喜びを見つける時代から、追体験の時代になっている』

というものでした。

 さてこれを聞いて、それはダメだとか、そんなんじゃイノベーターが現れないじゃないか、それでは先陣を切って新しいなにかを生み出すエネルギーがなくなっちゃうじゃないか、などと嘆いて見せるのは簡単だけど、それすなわちただの年寄りというのかおじさんたちおばさんたちの昔を懐かしみ、いまを憂うという方程式に則った反応だと思うのですよ。時代が人間全体に対して、そういう心情を表に出すように変化しているわけだからそれはまず、そうなんだあ、と受け入れるしかないですね。

 まぁ自分もたくさん写真を撮っていて、ちょっと人とは違う写真を撮れるといいななんて、追体験ではなく新発見に価値を求めているようでいながら、実際はあまた見てきた古今東西過去から今までの写真たちが引用例として記憶されていて、場面場面でそれらのどれかを引っ張り出しているのだから、相当ひねくれていても結局は追体験をしているだけなのかもしれません。 

 写真は横浜駅西口にある横浜高島屋を背景にした道路です。8月上旬のある日に撮りました。横浜高島屋は1959年築だそうです。1979年から、私は横浜市の外れだけれど会社の寮に住み始めて、休日には寮の最寄駅が始発の横浜駅行の市営バスに乗って買い物に何度も行きました。そのうち引っ越してからは、通勤経路の途中に横浜駅があったので、途中下車することも多かったですね。ということは、計算すると、築後60年経っていて、そのうち今に至る40年間、私にとっては横浜に行けばいつだってそこに当たり前にある百貨店のビルなわけですね。その後、東口にルミネやSOGOが出来、西口も大規模開発が終って、NEOWMANっていうのかな、あれ、OとWの順番は逆かな、どうやらNEWoMANらしいですね、そいつが駅ビルとして近年に建ったりしています。高島屋に建て替え計画があるのかないのかはわかりませんが、この横ストライプのきらきらしたビルはかっこいい。