三崎

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十年くらい前だろうか作家のいしいしんじの本をたくさん読んだ、そのなかに「三崎日和いしいしんじごはん日記」というのがありましたね。東京から?三崎に移り住んだいしいさんが三崎の町で徐々に生活を確立し魚やさんや中華料理店と顔なじみになり・・・というその変化を読んでいるととても面白かった。本はもう売ってしまったけれどまたちょっと読みたくなった。いしいしんじの本を読んだころ何度か三崎を歩いたことがあったから、このブログでも「三崎」って入れて検索するとその日の記事が出てくるんだろう。今日はちょっと写真を撮りたくなって自家用車を運転して城ケ島に行ってみたがほとんどの駐車場が閉鎖中で、かろうじて開けている駐車場には車の列が出来ている状況だったのでどこにもよらずに城ケ島をあとにして久しぶりに三崎に行ってみた。三崎の港の駐車場は開いていたのでそこに停めて、街の中を歩いてみた。店はほとんど閉まっている。コロナ禍で自粛で閉じている店もあるだろうし仕舞屋もあるだろう。歩いていても人とはたまにしか会わない。唯一、数人だけだけど列があったのはアイスクリームの店だったろうか。帰り道、左側に秋谷海岸や森戸神社のあたり、葉山マリーナ近く、と左側の(西側の)車窓からもう日が沈んだあとのでも真っ暗にはなっていない海が見える。もう真昼間ほどには人がいなくなった(そもそもコロナ禍で例年の夏よりははるかに人は少ないのだろう)海にシルエットになって名残惜し気に海に残っている人がいる。ここ数回おなじことばかり書いている気がするが、夏が終わっていく感じをひしひしと感じる。

夜、NHKで再放送の大瀧詠一を特集した番組を観る。風立ちぬ、って曲は、なんで「すみれ、ひまわり、フリージア」って春~夏の花の名前が出てくるんだ?で、ちょっと調べたら作詞家の松本隆(はっぴぃえんどでドラム叩いてましたね)自身が「完全に意味のない」「しいていえば、すみれのれ、ひまわりのり、フリージアのり、でらりるれろって感じを出したい」とかなんとか本当か嘘かわからないことをおしゃっているらしいことが書いてありました。でもこのフレーズの前に主人公の性格が涙顔を見せたくないとか性格は明るいはずとか言っているから、自分をこれらの花にたとえているんじゃないのか?いまは秋だけど私は秋の花のようではない、と。などと作詞家が言ってないことまで推測してしまったり。

それで晩夏の曲を思い出そうとしましたが、なかなか思い出せない。谷川俊太郎作詞小室等作曲の「夏が終わる」という曲がありますね。すみれ・ひまわり・フリージアではなくてその「夏が終わる」はこうです。

 

あせたような薄い青空

とうすみとんぼがとんでゆく

ききょう かるかや おみなえし

あざみ ゆうすげ おわもこう

 

同じ谷川俊太郎小室等のコンビに「高原」という三連符がつながる感じの曲があります。こっちは真夏の避暑地で過ごすキャンプみたいなことが歌われている。

三番の歌詞は

 

見上げるとこわいくらい星がひしめいて

十年も前にはやった歌は

闇の中にこだまする

夜は思い出とともにやってきた

てのひらに酒をあたため

いま ぼくは生きている

 

70年代のテレビドラマ「高原へいらっしゃい」のテーマは曲名を忘れちゃったけど「夕べみた 夢のなかで」で始まる曲だったけど、もしかしてこの「高原」は劇中に使われていたのだろうか?

「高原」を聞くとこれは真夏のサマーキャンプの朝と昼と夜の様子をうたってい感じだけれど、それなのにもはや晩夏に共通な寂しさも同時に感じるのです。

夏至は6月で夏休みはすでに晩夏に向かっている季節、それをどこで感じ取るかというだけの話?

・サマーキャンプは7月か遅くてもお盆休みまで、それが終わるともう夏休みのメインイベントは終わり、寂しさが漂いだす。

・この歌詞にうたわれているようなキャンプの気持ちは後日に思い出して懐かしむようなことだろう(でも「いま ぼくは生きている」だから後日ではなくていまなのかな?)

・十年前にはやった歌を歌うということはすでに過去に向いている気分

そういうことで晩夏を感じてしまうのかな。

さて、私が学生の頃のサマーキャンプではキャンプファイヤーの火のまわりで「戦争を知らない子供たち」という曲が定番でよく歌われた。「われわれはいやおうなく戦後生まれであって、そして成長して平和の歌を口ずさみながら、戦争を知っている社会の先輩たちとともに大人としてやっていくので、どうか覚えておいてください、ヨロシク」みたいな感じ。上の世代へのメッセージだったがそんなことは意識せずに同じ世代の、仲間のアイコンのように歌っていたと思う。でもいま思うに当時この杉田二郎の曲を聞いた戦争を知っている人たちはどう感じていたのだろうか?いまだったらSNSでうざいとか引っ込んでいろとかまずは髪を切ってこいとかさんざん叩かれそうだけれど、当時は幸いなことにSNSはなかったのです。

 

二番より)

若すぎるからと許されないなら

髪の毛が長いと許されないなら

今の私に残っているのは

涙をこらえて歌うことだけさ

三番より)

青空が好きで花びらが好きで

いつでも笑顔のすてきな人なら

誰でも一緒に歩いてゆこうよ

きれいな夕陽がかがやく小道を

 

作詞は北山修

 

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