手書き

 写真展のDMとフライヤーを封筒に入れて何人かの人に送ろうと、封筒に郵便番号と住所と名前をボールペンを使って書いた。ボールペンは相変わらずときどきダマというのかインクが変に溜まってしまう箇所が出来る。対策されたボールペンもあるのだろうが、なんだか何十年前と問題点が同じままで来ているって・・・結局このダマを決定的な問題点とは思わず、まぁいいやボールペンだしと、納得して受け入れて使うという需要が充分にあるってことだろうな。今日の私も、ダマが出来るとちょっと気分的にやれやれとはなるものの、そのボールペンで人数分の郵便番号と住所と氏名をずっと書いていたし。ダマの話はどうでもよくて、ノートにメモ書きを自分のためにささっと汚い字で書きなぐるときとは違って、それなりに綺麗な字になるように住所や氏名を書いていると、驚いたことに、書く漢字の詳細、ええと、ここの横棒は一本だったっけとか?むかしならばさらさらと自動的に書いていた漢字を書くのに意識的になって注意を要してちゃんと時間を掛けて書かなければ、うまく書けないのだった。これはもうパソコンで、このブログの文章もそうだけれど、変換された漢字の候補からひとつを選ぶということをやり続けた結果だろう。白紙に自分の指とペンが字という形の定まった線のデザインをなぞって描くという生み出す行為から、視覚が捉えた特徴から詳細まで見極めなくても選択可能なところでどんどん選択していくという選んで決めるということに変わっている。前者が白紙に字を生み出すという小さな創造行為の側面があるのに対して、候補から選ぶというのは創造ではない感じがする。だからこんな風に字がスラスラ書けなくなっちゃったじゃないか!と社会というか暮らしの標準に文句を言っても仕方ないですね。もっと手書きの字を書こうと思いました。

 フライヤーというのを調べたら、むかしは飛行機からビラを撒いていた。そこからそのビラのことをflyからフライヤーと呼ぶようになった(という説?)ようなことが書いてあった。セスナからビラが撒かれて、それを拾うということ、1960年代には住んでいた平塚市でもときどきそういうことがありましたね。子供たちは当然撒かれたビラを拾いたい。だけど上空ではあんなにたくさん撒かれているようでも地上に舞い降りたそのフライヤーを見つけるのは難しかった。見つけたときは嬉しかったけれど、不思議なことにそこに何が書かれていたかは覚えてないですね。あの頃はセスナが撒くフライヤーもあったし、アドバルーンもずいぶんたくさん上がっていた。

 先日、会社の会議室で打ち合わせをしているとき、その日は春霞漂う晴れた日だったが、遠く新宿方面の空低い場所に飛行船が飛んでいるのを見つけた。毎日持ち歩いているコンパクトデジカメで写真を撮りたくなったが、会議中だからそうは出来ない。会議がその後20分くらいで終わって、もう一度空を見たら、飛行船はまだ見えたけれどずっと遠くまで飛んで行ってしまい、もう写真を撮る感じではなかった。宣伝用の飛行船も以前ほどは見なくなった気がするけど、でもこうして飛んでいる。今の飛行船はどういう風に飛んでいるんだろう。軽いガスを充満させるのだろうか、それから小さなプロペラでも持っているのだろうか?で調べたら、ヘリウムガスと小さなプロペラと尾翼の方向舵であり、飛んでいる数はだいぶ減ったようだけれど、今年の春からビール会社の飛行船が飛んでいるらしい。通常は無人で飛んでいるとも書いてあったけど・・・一人二人操縦する人が乗ることもある?出来る?のかな。だいぶ前だけど、仮に広告用の飛行船が有人操縦で乗員が一人だったとすると、その人は空の上でゆっくりゆっくり移動しながら一体なにを思うだろうか?と考えたことがあった。実際そういう仕事の人がいたら安全飛行のためにたくさんのやるべきことがあるんだろうけれど、どうしても想像の中ではのんびりとした仕事のように思い込んでしまう。春の晴れた午後に東京の空を漂いながら何思うか飛行船よ。些末なひとつひとつの目下の課題は、ひとつひとつ片付けなくては駄目だけれど、目下のことなのに過去の思い出のように、終わったことのように、なつかしくて笑っちゃうようなことのように、飛行船に乗ればそんな風に思えるんじゃないか。そして欠伸をして・・・まぁ無人なんでしょうね・・・

 写真はデジカメ以前時代、ミノルタオートコードで撮った茅ケ崎港あたりのスナップです。港には打ち捨てられた船や、瓦礫が溜まった場所や、背の高い雑草がたくさん生えていたり、猫が集まる陽だまり、朽ち果てたような小屋・・・そんなもう打ち捨てられたようなものがそこここに残っているままの部分が残っていて、それが港の風景の余裕のような空気を作っていたよなぁ。

 とか、なんでも懐かしむのは良くない。